キリムの店*キリムアートアトリエ

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どうやら東京行の飛行機はフルブッキングに近い状態の様子。
来る時と同じガラガラの座席を期待していたのに、「一睡もできない」失望感に見舞われます。
(もう写真を撮影する心の余裕がなくなりました。)
通路側への座席指定をしていなかったので、余計に悔やまれました。
その東京行きの乗客で一番目についたのが、「JAPAN」のユニホームを着た何かしら目に障害のあるアスリートの人達。
次いで、何処の国か分からないアジア系の人達。
何故、日本に来るの?
乗客がかなり捌けてきたので、観念して私もそちらへ向かい、搭乗口でPCRテストの陰性証明を見せると、日本政府が指定する様式と違うと言われ、搭乗口で日本政府指定様式の陰性証明に書き換えられました。
同様の内容が書かれていれば良いのにどうして?
「日本に着いたらこれを見せて。」と言われましたが、日本では全員PCRテスト受けるから、搭乗口で確認できれば問題ないのに。
まぁ良いか。
そこで、横眼で見ると“NEPOLE”の文字があり、どうやらネパールの人達が乗客の2/5位を占めているようで、他にも様々な外国人がいます。
隣に居合わせた乗客は気さくな感じだったので、どこの出身なのかを聞くと、聞いた事がない名前です。
地図を見せて貰いましたが、ピンときません。
イスラエル辺りのようなんですが、聞いた事がないんです。
それで、「何しに来るの?」と尋ねると“WORKING”と言うので、仕事目的のよう。
なるほど、周囲の外国人達は皆、直行便のあるトルコ航空で日本にやってきているんです。
ネパールの人達は、一度、イスタンブルまで飛んでから、東京に来ているという訳。
ここでやっと往路でガラガラの飛行機に乗れた訳が分かりました。
東京から出ていく人は少なくても、入ってくる人が大勢いるので、あのような大型航空機で運用していたんです。
気が付いた時は手遅れですけれど。
後、往路のガラガラの時のような機内サービスは期待できません。
乗客が多い時にサービスが悪いのは、こういった乗り物系の典型。
ただ、トルコ発のせいなのか、心なしか機内食がリッチになった気がします。
とにかく、あれほど疲れていても機内で寝る事はできず、疲労困憊で羽田に降り立ちました。
空港内でのPCRテストは通路をグルグルと周遊させて、検査結果が出るまで1時間半。
そこから荷物を受け取りに行って更に30分以上待ちました。
空港に着いてから荷物が出てくるまで2時間もかかるなんて、どういう事?
8時前に着いたのに、もうすぐ10時ですよ。
とにかく、23キロのバック2つと、機内持ち込みカートにリュック、4点の大量の荷物も何のチェックもなしに税関を通過。
岡山ならかなりの確率で荷物を開けて見せなければなりませんが、大都市ではこだわらない様子。
この辺りは人の多い東京が良いな!
ここから急いでヤマト運輸に一番重い荷物を預けて自宅まで送って貰います。
そこから、予め予約しておいた近くのJALのホテルまでシャトルバスがあるらしい。
丁度、10時30分位になったので、バスの出迎え時間にピッタリなのですが、バスが止まる場所が分かりません。
ホテルのアップしている案内図を見ても、縮尺が違うので見当がつきません。
バス停の方で何人かに尋ねて、2人が同じ場所を示したので間違いないだろうと思い、そこで待つ事にすると、時間通りにバスが来て、ほんの数分でしたが、ホテルまで送ってくれました。
ホテルを出て直ぐ、通りの向かいに「すき屋」があったので、そこでサッと晩御飯。
さて、当初目的に掲げていた商品価格の高騰の話。
確かにヤストック等2倍近いものもありますが、私が訪問した際はコロナ前の在庫があったので、微妙に高くなったかもという位。
コロナ後に流通する品物の商談はしていないので、実態は分かりません。
ただ、クリーニング代や加工賃、そして人件費は2倍、空輸に至っては3倍位。
加工済みのクッションカバーを発送して貰ったところ、キロ当たり13ドルでした。
定番の40cmクッションカバー4枚で1kg位なので、1枚当たり450円も掛かっています。
これに加え、クッションカバーの製作費の上昇分に加え、トルコまで赴く諸経費等も遥かに高くなります。
今まで努力すれば10万円程度で買えていた航空券が30万円近くとこちらは3倍。
それまで無視していた諸経費が経営を圧迫するので、クッションカバーの販売価格2800円というものものだと利益が300〜500円程度。
これにキリム本体の値上が入ってくるので、二度とこの価格設定は出来ません。
まぁ見ていて下さい、他の販売店が総じて値上してくるでしょうし、もうしているような気もします。
まず一番に価格上昇が来るのが、小物です。
数万円のキリムの場合、諸経費が数千円高くなったとしても、商品価格は1万円程度の差ですから、それほど大きな変化があったようには感じません。
ただ、ここで問題なのが、販売している商品の価格です。
仕入れ価格が高くなっても広い意味での市場価格はそれほど値上がりしていません。
この先、市場価格が上がっていくか、キリム・絨毯屋が経営できなくなって破綻していくかのいずれか。
おそらく、価格上昇分を転嫁した結果、売れなくなって店をたたむという事例がでてくるでしょう。
今のところ、販売価格の値上げは予定していません。
反対に、売れ残っている在庫は安く価格を再設定して在庫を整理していきます。
店をたたむ時の心積もりです。
最後のフライト、機内でウトウトしていたところ、ふと、目が覚めて窓の下を眺めると富士山がありました。
2022/ 8/11

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最終日の月曜、朝早く出かけたい所ですが、居候の身分では無理も言えず、友人の大学への出勤時間に合わせて駅まで送って貰いました。
トラムの乗り継ぎには慣れたものの、仕事場に到着するまでに90分はかかるのは痛い。
最初の店に到着したのが10時30分頃、案の定、頼んだ修理が出来ていない。
クレームだからペースが遅いのは分かりますが、そもそも最初からキチンと直したものを送ってこないのが悪い。
それをはるばる日本から運んでくるのがどれほど大変な事か、理解しろと言っても、まぁ彼らには無理でしょう。
そのまま置いて帰る事も頭をよぎりましたが、次の訪問の機会がいつになるか分かりませんから、とりあえず最善の状態まで仕上げて引き取りました。
何せ「修理して」と言っても「分からない」と言うんですから、呆れてものが言えません。
納得いかない部分は、次の修理屋の所で補正して貰い、残りは自宅に持ち帰って数日掛けて直す羽目になりました。
次にクッションカバーのアトリエに出向いて、カッティングサイズの最終調整、一気に切り刻みます。
この時、小さな破損を見つけたので、修理屋の所に行って直して貰い、再度アトリエに渡すと、16時位に最終工程が終わるそうなので、日本に持ち帰る事はできなくなりました。
仕方なく、知り合いの店に配送を頼み、修理屋に到着したのが12時過ぎです。
ここからハイペースで仕上げなくてはなりません。
実は、友達の妹さんはイスタンブル大学の先生で、今日は講義がある日なので、帰りに送って貰う予定にしていたのです。
そして、その講義の終了がお昼過ぎらしいので、私も早くここの仕事を終わらせてそこへ行く手はずなのに、私が絨毯の修理を持ち込んだ事で時間を取り、すでに13時を過ぎました。
焦るものの、修理には時間がかかります。
14時を過ぎると、流石にメッセージが入るようになり、もう少しと引き延ばしましたが、ついに電話で催促され、15時位に修理屋を出て、最後の店に辿り着くと生憎ドアが閉まっています。
何処か近くに居るようなので、電話すると、食事中の所わざわざ戻ってきてくれました。
急ぎ事情を話し、これからタクシーでイスタンブル大学に行きたいと言うと、今日は交通渋滞があるから、イスタンブル大学に行くのは難しいと。
反対に、「イスタンブル大学から迎えに来て貰ってはどうか?」と言われ、安易にその話に乗ってしまい、電話で近くの湾岸線まで来て貰えるよう、電話で経路を説明して貰いました。
後は待つだけ、の筈が、いつまで待っても来ないんです。
すると電話があり、ナビの誘導に従って最短ルートに進むと、交通渋滞で全く動かなくなったと。
結局、2時間近くを無駄に使った後、私達も移動して、やっと再開できました。
問題はここから。
私の不手際で交通渋滞の時間帯にハマったので、最悪の時間帯にサビハ空港方面のSancaktepeに向かって移動するハメに。
サビハ空港から、イスタンブルの新空港行のシャトルバスに乗るつもりでしたから、荷物がホームステイ先にあるのです。
いつも通り近くのホテル滞在なら何も問題にならないのに、わざわざ、空港から真反対方向に最悪の渋滞の中を突き進むのは無謀そのもの。
夕方の5時過頃出発しましたが、3時間経過してもまだまだ到着しそうにありません。
8時のシャトルバスに乗りたいと思っていましたが、まだ車の中。
最初の内は、イスタンブル大学の先生に最悪の渋滞の中を運転させて大変申し訳ない気分と、ボスフォラスを渡ってイスタンブルの郊外をドライブ出来た気持ちが複雑に入り混じっていましたが、次第に、フライトが危険に思えてくるようになりました。
最終のシャトルバスが10時ですから、それに掛けるしかありません。
ホームステイ先に到着したのが8時半過ぎ。
大急ぎでスーツケースに詰めて、予備のバックにも詰めて、残りはリュックに入れての作業をしながら用意していただいた夕食を食べます。
パッキングを終えたのが9時30分過ぎなので、そこから急いでサビハ空港に向かうと、シャトルバスも遅れているらしく、ギリで間に合いました。
ただ、このシャトルバス、全然出発する気配が無いんです。
10時30分過ぎてようやくチケット売りがバスを降りたので出発しました。
フライトは確か2時過ぎだから、チェックインは12時過ぎには開始して、恐らく1時までの筈。
このシャトルバス、運が良ければ1時間と聞いていましたが、出発の段階ですでに30分遅れなので、2時間かかるとして、空港到着が12時30分という計算。
予定通りなら空港についてダッシュすれば間に合います。
と言うか、こういうスケジュールになってしまったのは、自分の優柔不断さから来たもの。
最初の内はバスも順調に進んだのですが、途中、バスターミナルみたいなところに停車して、20分近くをロスして、本気でフライトがやばいなぁと。
真っ暗で見えないけれど、「今どこなんだろう?」と外を眺めていると、空港線らしい雰囲気が見えてきました。
どうやら12時30分には到着できそう。
バスが止まってから、猛ダッシュでカートを取りに行き、重い荷物4点を載せ、トルコ名物の荷物検査の列に並ぶと、余裕で1時にチェックインできそうな雰囲気。
予想通り、12時50分頃にはチェックイン出来て充実感がみなぎってきました。
どうせ帰りの飛行機もガラガラでしょうし、今度は、余裕しゃくしゃくの面持ちで搭乗口に向かうと、何故か長蛇の列。
どういう事?、あなたたちは誰?
2022/ 8/10

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ヤロワでは隣町のチナルチュックの絨毯屋に知り合いがおり、いくつかオールドのキリムを持っていると言うので会うつもりでいたのですが、彼は土曜日の午後も仕事中らしく会いに行けそうにないと聞いていたので、ヤロワに到着したとだけメッセージを送っておきました。
さて、ヤロワに着いて一番にする事、それは昼食。
行きつけのイスケンデルンを食べに向かいますが、魚市場がある位ですから、本当は魚料理が食べたい。
魚料理といっても、揚げるが約7割、焼くが2割5分、蒸すが5分。
新鮮でないものに当たれば、マズイ、高いと最悪です。
実際、港には真新しいレストランがオープンしています。
ですが、観光客向けの店より、ローカルなレストランが良いので、前もって目星付けていた店に行きましたが、客はおらず、店の人も見当たりません。
諦めて、他を探していると、親切そうなおじさんが歩いていたので、「魚はどこのレストランがおいしいですか?」と尋ねると、例の港にある観光客向けのレストランを勧めてくれ、道案内までしてくれます。
地元の人で賑わう店の方が安くて美味しいのに、何故だろうと考えながら来た道を戻り、間違いの無いところでイスケンデルンを頂きました。
私的にはイスタンブルで一番美味しくて安いイスケンデルンです。
アイランと合わせても60リラで少しお釣りがくる程度と、コロナ前とそれほど変わりません。
どうなんでしょうね、2倍に高騰しているものもあれば、殆ど据え置きのものもあるという実態。
とにかくガソリンを使うものは総じて高くなっています。
ここも料理にはガス使っていたと思いますので、お店の経営は厳しいはずです。
ともかく美味しい昼食を頂いたので、次はフェリー乗り場近くに戻り、乗り合いバスで温泉ホテルへと向かいます。
2年半前は4リラだったのが、いくらか尋ねると10リラ、やはり相応に高くなっています。
ホテル前の駐車場で止まり、見慣れたホテルのスタッフに会い、チェックイン。
一人なので一番安い部屋にしましたが、窓からは温泉ホテルのプールも見えるまずまずの場所。
温泉とプールは入り放題で朝食付きの5つ星なのに、32ユーロ程ととても安価。
ですが、リラが安くなっていますから、リラ建てだと確か600リラなので2倍以上の金額です。
温泉とサウナ、冷水風呂に入り、プールサイドで休んでいると疲れが抜けた気がします。
すると不思議とお腹が空いてくるので、歩いてホテルの裏にあるレストラン街に向かい、行きつけの店があるかどうか少しドキドキ。
かなり歩いて、「あれ、無くなったかなぁ。」と思った時に見つけました。
ラフマジュン2枚とアイランがお決まりで、仕上げにキュネフェを頼んで55リラ。
格安です。
Sancaktepeの友達にそう伝えると、「観光地だから少し高いですね。」と言うのですから、トルコのレストランは、観光地以外は昔とそれほど変わらない価格で提供しているみたいです。
かなり厳しいですね。
日曜日の午後にPendikに戻ると、まずコロナ対応の為だけに建設されたという専門病院に行き、帰国に備えてPCRテストを受けました。
今夜には結果が受け取れるそうです。
その後で、Sancaktepeの町に行ってチーズ等の食料品を買いましたが、チーズは検疫の対象になっているんですね。
さて、明日は帰国ですが、課題が山積。
果たして無事帰れるのか、かなり厳しい気がします。
2022/ 8/ 3

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金曜日10時45分頃の飛行機でカイセリを経ちました。
当初、カイセリから戻った後、万が一用事があれば仕事に行く事も可能なフライトを選択していましたが、マラティアで余計な買い物した所為で、何としてもスルタンアフメットに行かなければなりません。
宿選びのミスが痛い。
明日の土曜日はヤロワ行きを控えているので、残された時間はヤロワから戻った後の月曜日後、深夜のフライトのある一日だけです。
飛行機はまずまずの時間にハビハ空港に降り立ちましたが、交通渋滞で友達の出迎えが遅れ、昼食を取って出かけたのが16時近く。
急ぎ足で仕事場に着いたのが17時半頃。
流石に往復3時間の行程はキツイ。
トラムの駅から坂道を下りて行く順番に、先ずキリムの卸屋を訪れて、クレームの修理はできたか尋ねると、「出来たよ。」と言うので、念のためと思って点検を始めると、全然出来ていない。
経糸一本ずつこちらが目視で確認して、逐一、ここをこうしてくれと指示しない限りダメなんですねこの人達。
ある程度の予想はしていましたが。
再度修理の指示を出してから、クッションカバー工房に顔を出し、マラティアから送って貰ったキリムが到着したか等を確認して、現物の状態を見てから修理が必要な物を手に取って修理屋に持参。
そうこうしている内に、夜の6時を過ぎたので早くアトリエに出向いて、キリムの加工をしなくてはなりません。
坂道を逆行するのでかなりキツイ。
挨拶する時間も惜しんで、加工場の台座の上に買い付けたアンティークのガジャリを広げると、1枚はほとんどダメージがない優れ物でした。
カットするのを躊躇しましたが、残された時間が無くて焦っている所へ、工房の親方が出てきてカットサイズの算段を付けてくれ、ここも月曜日に受け取る事になりました。
売れると良いのですが。
夜の7時近くなり、先程の卸屋に修理の具合を見に行くと、どうやら閉店準備のよう。
タダで仕事させているので時間延長はムリ、続きは月曜日にと約束してここを去り、だんだん予定が後にずれていく悪循環はマズイ予感。
帰り道に再び修理工房に立ち寄り、持参したヤストックの追加修理を頼みつつ、すでに直してくれたキリムの修理を見て少し戸惑い、修正を頼み、私がマラティアから持ち込んだヤストックの修理もあり、さらに時間が後押し。
ここも月曜日に取りに来る事にして、最後の店に辿り着いた時には夜の9時位。
ここも閉店時間です。
「君も早く戻らないと、マルマライは10時位でストップするはずだ。何ならここに一泊するか?」と言われ、彼が最寄りの駅まで送るよと言うので、急ぎ戻る事にしました。
シルケジのマルマライ駅に到着したのが10時頃ですから、Sancaktepeに着くのは12時ですね、ホームステイしているのに。
待たせている友人に申し訳ないとメールし、Basakの駅で出迎えて貰うと、「ご飯は食べましたか?」と聞かれて「まだなんです。」というと夕食の準備をしてくれる事に。
皆さん食事済ませていたと思っていましたが、どうも私を待っていた節があり、夜の12時近くにありがたくも手料理をご馳走になり、しばらく談笑したので、就寝したのは深夜2時近くだったでしょうか。
終に、仕事が終わらないままに休日を迎えました。
土曜の昼のフェリーを彼のパソコンで予約して貰ったので、ヤロワに渡る為のフェレー乗り場、Pendikという街に送って貰いました。
イスタンブルのはずれですが、海沿いのこの街はとても賑わっていて、ゆっくり訪問するのも良いかもしれません。
小さなキリム屋もある位ですから、何か目新しい発見もありそうな所です。
私は無事フェリーに乗り、いつも通り座席を探し回りましたが、今回は何処にも見当たりません。
何処でも空いている席に座れば良いのは知っていますが、無いというのが受け入れ難く、探し回る事20分、やっと見つけました。
表のバルコニー席なんです。
ちょうどイスタンブルの気温も高くなってきた事もあって、バルコニーで風に当たりながらしばし観光気分に浸りました。
2022/ 8/ 3

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ボスの店を去り、バザールに戻る、今日は月曜日なので全ての店が開いています。
寂れている事には変わりありませんが、昨日にも増して、あちらこちらからこれを買わないかと誘いが舞い込みます。
余りに売り込みが多いので、安いのかと思って価格を尋ねると、極普通。
あと、最近分かった事ですが、結構仲が悪いみたい。
今回、マラティア行きで世話になった彼とその友達が売りたいと言っているものを少しだけ買い取って、その友人の招待でマラティアでもトップクラスのレストランで夕食を頂きました。
こんな豪勢な所で食事すると、僅かな利益は吹き飛ぶので、私が支払うと言っても彼は聞き入れません。
別れの握手で200リラを渡そうとしても困った顔していらないと言います。
この辺り、イスタンブルのトルコ人とは全く違います。
それより気になるのが、噂で聞いていたキリムが高くなったという話ですが、今回買い付けしたものは、オーナーがコロナ前かコロナが一旦収まった直後位に買い付けたものなので、正確な事は全く分かりません。
皆が異口同音に、もし今買い付けたならとてもこんな価格では販売できないと言っていますが、そもそも今の高い時期に買い付け自体をする気はないようですし、更に高くなればもう見向きもしないだけ。
彼らも高くなったものを買い付ける気はないのだと思います。
あくまでド田舎のマラティアの話です。
それで実際に何が高くなったのかと尋ねると、絨毯ヤストック等の小物が一番コスト面で厳しくなっているという事。
カイセリ行きのバスは、コロナ前は50リラだったのが、今回は200リラ。
手配してくれた友達の話だと、今は250リラまで上がったそう。
カイセリの友人から聞いていた話では、店で働く労働者の賃金も2倍7,000リラまで上昇したらしいです(最低賃金なのか平均なのかは不明) 。
リラ安もあり、実際にどの程度の価格上昇圧力がかかってくるのか分かりませんが、大判と比べて面積比で割高な絨毯ヤストックには、それに含まれる燃料代や人件費などの諸経費の割合が大きくなってくるのでしょう。
総じて、小物は高くなります。

翌日はカイセリに行きます。
カイセリに向かうバスの中、マラティア・シワスの険しい山中を抜けたところがギュルン、カイセリに近づくと風景が変わります。
エルジス山から続くと思われる山並みが奥手に見えます。
やはり雪が多く残っています。
道路標識にプナルバシュと見えたのでどうやらカイセリに入ったようです。因みに、このエリアはカイセリでも有数の良質なキリムを産出していた地域。
後45分程でバスターミナルに着きます。
ターミナルにはトルクメン人の友達が待っていてくれ、そこからホテルまで送って貰います。
カイセリのホテルでは、会社の人からの紹介で宿泊すると半値位になるらしく、彼の絨毯屋の紹介で3つ星クラスのホテルに泊まりました。
イスタンブルに比べればかなり4つ星に近いと感じ、カイセリらしく朝食がとても美味しい。
バスルームは狭くて古臭い印象でしたが、私にとっては朝食の良し悪しが大きく左右します。
さて、今回カイセリに来た理由はコロナ前に買い付けたキリムをカイセリに集積していたので、それらを修理に出すため、そして、修理してもらったキリムを点検するためでした。
しかし、到着早々に修理工房が全店閉じたと聞いて驚きました。
アクサライといえば名の知れた工房が数ある町です。
一軒もなくなるとは考え難いです。
彼の話では、コロナで仕事が無くなったのに合わせて、ビンテージ加工した安物絨毯の修理工房に変わったという事。
でも閉店しただけなら、修理人を探せばまだ見つかるはずなのに、それをする気配が見えないという事は、こことも縁切れが迫っているというサインです。
彼自身は、ビンテージ加工した絨毯の販売が軌道に乗り、コロナ前から好調に推移していたのが、コロナが始まると、米国を中心に注文のメールが殺到したそうです。
余りの多さから、「一時休業」として受注を断ってもさばききれない注文が入ったと。
その後、しばらく注文が減り、ネット販売が沈みかけていた時に、米国の卸売人とコンタクトが取れて、一度に100枚単位の注文が来たそうです。
論より証拠、彼は秘密裏に空いたマンションを借りてそこを全て在庫の収納場所に変えて、番号毎に整理された商品が並び、スケールの違う繁盛店へと変貌していました。
到着した当日も、夜の8時に商談があるから来ないかと誘われて付いて行くと、そこにあったのはかつてネットで売られていた品々。
顧客の好みが変わってきたため、売れ行きが悪く、在庫を処分したいと言うので、彼は全部買い取るつもりのようでした。
一通り品物を眺めて〇〇〇ドルで全て買い取るオファーしたと、小声で教えてくれ、相手の反応を見ながら、商談をまとめにかかります。
最後に商談以外の品々、古いドア等の調度品も含めて商談が成立した模様。
彼曰く、「二倍の価格で売れる。」との事で、翌日にはそれらを運び出して、クリーニング屋に運ぶ等の仕事に追われ、夕暮れ時まで私の仕事の入る隙間がありません。
これはもうカイセリは終わったし、そろそろこの仕事も終える時期が来たのかもしれないとの気持ちを強く抱きました。
2022/ 7/27

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さて、マラティア滞在の最後の月曜の朝が来ました。
実は昨日、バザール内で話をしていると、日曜だというのにあちらこちらからこれを買わないかとの誘いがたくさんあり、そのうちの一つ、古いシャワックのガジャリ等計3点、購入を見合わせていたのが、深夜になって和風のクッションカバーには最適だと思えてきて欲しくなり、夜の内に知り合いに買い取りたいと連絡しておきました。
まず朝の一番にそれらを買い取り、イスタンブルのクッションカバーアトリエに送るように指示した後、いざ、大御所との対面。
私の知る限り、彼は第一線で働いているキリム屋の主人としては最高齢です。
とても裕福な方ですが、時間があれば店に顔を出してこうして店に出てきます。
私のように少額取引は極めて稀なケースだと言われていて、気か向いたから店を開けてくれましたが、たぶん、馴染みの業者でなければ会ってはもらえません。
気難しい一面もありますが、イスタンブルのような騙しが極めて少なく、かなり良心的な方です。
ただ今回、買い付けるとしても、ほんの挨拶程度と決めているので心苦しい限り。
コロナによる時間の経過により、高齢からくるものなのか足を痛めておられ、自宅で過ごす時間が多くなったと聞き、彼も精いっぱいのセールスしてくるのですが、自慢げに見せてくれるのが大判のキリムばかりなので、どんなに頑張っても買い付けるつもりは毛頭ありません。
ですが、彼としては魅力的な価格と思われるものをセールスで見せてくれますから、いらないとも言えず困ります。
そこで思い切って、「絶対に売れるものしか買えません。今、大判のキリムを購入する顧客は殆どありません。」と告げましたが、まだあれこれと見せてくれるので、中々思うように運びません。
そうしている間に、彼が米国のショッピングサイトに掲載しているものが何点か売れたらしく、その手続きに追われて私は放ったらかしに。
昼食の時間になり、何を食べたいかと聞かれたので、いつも同じ出前のドネルケバブを頂きました。
マラティアのものは、たくさんのパンのほかにピラフやサラダ等が付いてボリュームがあります。
お肉の味も、勿論イスタンブル等とは違います。
そうしていると、ボスから孫が日本人に会いたいと言っているから、もう少ししたらここに来ると言われて待っていると、小学生の低学年くらいでしょうか、ロングヘアのイケメン少年がやってきて、習った英語で挨拶してくれるのでしばらく談笑。
「What color do you like?」と尋ねられ、「Ben Yesil, Koyu Ysel Gesel.」とつい答えてしまいまたしが、日本に興味を持ってくれるのはありがたい事です。
父親がボガジッチ大学をとても優秀な成績で卒業されている名家ですから、地位も名声もあり、羨ましい一族です。
さて、商談をまとめにかかります。
彼としては買う気があるものは全て売り切るつもりらしいですが、こちらもいらないものはいらないですから、しばらく商談は難航。
ボス曰く、君はゲストだから何も買わなくていいというので、私もそれでもかまわないと開き直り、ここでやっと本気の商談に入ります。
そう、トルコでは一度、「いらない」と言わないと価格が高いままなのです。
そうして10点ほどの安価な物を原価ギリギリで買い取る事ができ、お礼の言葉も見つかりません。
ボスはもうじき店をたたむ決意なのか、誰かに売るか、息子か親族が跡を継ぐかもしれないと話していました。
いつもそう話していましたが、今回ばかりは本気のようで、名残惜しく、外の風景を心に留めておく為にも、外の風景を撮影しました。
市内から見える近くの山にはしっかり雪が残っているのがよくわかります。
ボスはこの景色をデスクから眺め、40年間キリム屋を営んでました。
日本はGW中から25℃位ありましたが、今年のトルコは寒く、イスタンブルが20℃位でマラティアは18℃位でしょう。
寒くて困っているのに、なぜかトルコ人たちは嬉しそうに微笑みます。
2022/ 7/26

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マラティアに到着したのが、土曜の深夜です。
日曜は普通休みですが、最近、マラティアのバザールも所々空いています。
昔ながらのお店は休みだそうです。
朝早くからバザールの中で開いている店があったので、何を作っているのかを聞くと、キュネフェという有名なお菓子を作る所らしい。
丸い大きなターンテーブルの上でこのココナッツ的な物を焼きます。
一般家庭ではこうした店で作り置いたものを買って、自宅で温めて食べるようです。

さて、友人の店にたどり着き、以前買い付けて修理が終わっている筈のものを見せてもらうと、殆どが手つかずのまま。
コロナで時間が止まったみたいに。
開いた口が塞がらない状態。
それでも、指示すればきちんと働いてくれるようなので、ひとまず安堵しました。
一通り指示が終わると、バザールを出て、他のお店のウィンドウショッピング。
肌に良いと言われる何かしら特殊配合のオリーブ石鹸があり、お店のおじさんのおすすめを5個、100リラで購入。
この後で大小様々な店を回り、一つ大きな絨毯だけを買いましたが、他の店では何も買わず・
ランチは、マラティア特製のラフマジュン。
温かいマフマジュンにサラダを包んで食べる、ウルファ流の本式です。
最高に美味しい。
スパイスの効いたお肉や香ばしいパンの香り等、いろいろな味が口の中で混ざり合い、言葉にならない。
その後、小さな店をいくつか回りましたが、お値段が微妙に高いんです。
いつもなら、挨拶代わりに100ドル、200ドル平気で払っていましたが、今回、それらを買うと原価を回収する事は出来ても、利益を出すのは厳しいと感じる程。
イスタンブルならともかくマラティアは、破格の価格が魅力なのに、これでは手が出ません。
今日の所は早めに切り上げて、翌日はマラティアのボスの店の訪問です。
軽めに夕食、そして〆にハタイ キュネフェの専門店に行き、美味しいマラティアを満喫しました。
画像は、夕方の6時近くでも明るいマラティアの中心部の様子です。
2022/ 7/20

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イスタンブル滞在2日目、この日は特に用事が無かった事から、クッションカバーの工房で昨日見つけたチャナッカレ絨毯の加工を行い、細々としたものを買い求めて一日を終え、翌日の大移動に備えました。
今回トルコ訪問を決めた理由の一つはSancaktepeに住む古い友達からの誘いがあったためです。
しかし、そこはイスタンブルの東端に位置し、殆どサビハ空港に近い。
ここに滞在すれば、キリム屋界隈との往復には3時間以上の時間がかかります。
今回は、イスタンブルでの仕事は少ないはずなので、Sancaktepeでもいいかなと少し心が揺れていた時、マラティアやカイセリなどとの往復に便利なペガサス航空がサビハを拠点にしていると知り、思い切って訪問する事にしたのですが、この辺り、マイナス評価するべきところを都合の良いほうに解釈していたため、後で痛い目にあうのです。

まずホテルをチェックアウトして、ボスフォラス海峡を地下トンネルで結ぶマルマライ線に乗るため、イェニカプ駅まで歩く事にしましたが、これが一番の間違い。
大きな荷物を持って歩く事はイスタンブルの道路事情からして無謀でした。
歩道が整備されておらず、荷物を持ち上げて結構な距離の段差を何度も超える必要があり、また、思っていたよりも駅が遠く、たどり着くまでに1時間近くを要して疲れ果てました。
途中、タクシーに乗ろうと何度も考えましたが、タクシーだとものの数分で着く距離ですから、ボッタクリにあうのが関の山。
それでも駅に着くと少し元気が出てきて、初めて乗るマルマライのホームに降りて行き、適当に乗車して、通り過ぎる駅のホームの名前を見るとどうやら正しい方向に乗っていたようで、しばし冷房の効いた車内で体力を回復する事ができました。
電車に乗る事1時間程で指定されたBASAKの駅にたどり着き、出迎えを待つと10年振りの再会でしょうか、昔と変わらない顔立ちの友達が迎えに来てくれました。
それから彼の自宅に案内され、私の為に用意してくれた昼食を頂き、しばらく談笑していると、そろそろ、マラティア行きの飛行機の時間です。
車でサビハ空港に送って貰い、出発の2時間前と余裕の時間です。
しかし、空港内に入って驚きました。
大勢の人でごった返し、新空港よりはるかに混雑しています。
訳のわからないまま、ペガサス航空のチェックインカウンターはここで良いかと聞くと、行先によって違うらしく、二転三転してやっと正しい列に並ぶ事ができました。
そこで辺りを見回すと、周囲にいるのはアラブ人のよう。
なるほど、サビハはアラブ諸国からの国際線の窓口になっていて、トルコ経由で他の国に行く人達や国内線に乗り換える人が多いという訳です。
この後、行く先々で聞いたのが、アラブ人が大量にトルコに押しかけて来ているという事。
裕福な彼らにとって、トルコは何でもある天国、お金さえ払えば在留資格さえ取れ、トルコ国内での不動産を始めとした物価高騰の要因になっており、また、そのマナーの悪さから疎まれているのも事実です。
私がチェックインのカウンターに進むと、その後に居たアラブ人達もカウンター前に一斉に押しかけてきてしまい、気が付いた職員が戻れと言っても、後方からも押されているので戻れない状態。
アラブ人達は一向に臆さない様子で、カウンター前に陣取って座り込んで平気な顔で話し合ったりと、何でもありの状態。
荷物を引き渡して航空券を貰い、このカオスから一刻も早く逃れました。
搭乗口には30分前には到着したでしょうか。
混雑していて、ちょうど良い頃だと思っていたら、さすがはペガサス、1時間待ってもまだ飛行機が来ません。
結局、2時間近く遅れての出発です。
新空港のトルコ航空が深夜便だから、わざわざサビハ空港から飛ぶペガサスにしたのに、これならトルコ航空の方が良かった。
唯一の救いは、マラティア空港から市内へのバスルートが変更になっていて、ホテル近くの町のバス乗り場に停車した事。
今日は長距離を移動して無性にお腹が空いてきたので、捨てるつもりで持っていたパンとチーズを食べて腹ごしらえし、洗濯して、就寝しました。
翌朝、見慣れたマラティアの光景が目に入り嬉しくなってきました。
2022/ 7/19

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今回の余り気乗りしないトルコ行き、重い荷物を引き渡して身軽になると、それまでの鬱積したものが取れて何か気分が楽になり、初めて(何十年振り)見る羽田空港国際線ターミナル内を散策して、搭乗開始の直前に搭乗口に行くと、思っていたよりも乗客が並んでいます。
まぁ、なるようになるろうと乗り込み指定座席に座ると、周りに乗客がいません。
乗客に対して不釣り合いな大型の旅客機、どうしてなんだろう?
毎日運航していたら、燃費悪くて赤字になるだろうに、もしかして、機材が足りてないのだろうか?等考えをめぐらしつつ、今回は良い座席を指定して貰ったので、普段、寝られない私でも少しは寝られそう。
機内食は離陸後と到着前に出るそうで、あまり期待していませんが、やはり期待を裏切りませんでした。
まぁ、エコノミーですから文句は言えません。
深夜の日付が変わる前に出発して、実に2年半振りとなる新空港に到着したのが朝の5時くらい。
どうせ入国に手間取ってホテルにたどり着くのが遅れるだろうと思っていたのに、入国カウンターはガラガラ、何のチェックポイントもなく至ってスムーズに入国。
バス乗り場に行くと、どうやら乗り方が前と変わり、前払い方式のイスタンブルカードではなく、その場での現金払いか、カウンターでチケットを買う方式らしい。
加えて、バスはベヤズットで止まり、そこから先は歩いていかねばならないそう。
早い時間帯のせいで、バスは渋滞もなく順調に進み、終点のベヤズットに着いたのが6時過ぎ。
日中は人で溢れかえる場所も早朝はガラガラ。
ホテルまで少し距離はありますが、慣れた道のりなので大小のスーツケース二つとリュックを担いでやっとのことでホテルにたどり着いたのが6時30分過ぎ。
う〜ん、到着が早過ぎ。
まいったな、部屋もなく、一休みもできないし、少し途方にくれました。
ホテルのレセプションは知らない人ばかりに代わっていて、朝食はサービスしてくれるだろうから、「何時から始まるのか?」と尋ねると、朝食そのものの提供を辞めたらしい。
朝食が良いから定宿にしていたのに、失望感に襲われます。
知り合いのキリム屋に電話して朝食の提供できる店を聞くと、オリーブガーデンホテルに行けば立派な朝食を出して貰えると言うので行ったところ、確かに食べ切れない程のメニューでしたが、特に目新しいものは無いのに、価格がボッタくり。
後でそのキリム屋の主人も来て、一緒に食べましたから、それなりの価格だと覚悟はしていましたけれど、一人分で300TLだそう。
ボッタくっておきながら、コーヒーはサービスだというから余計に腹が立ちます。
イスタンブルやアンタルヤといった観光地では、この手のボッタクリは日常茶飯事、なんか怪しい雰囲気を感じたら注文せずにお店を出て下さい。
今回の手持ち資金は過去に両替していたものなので、リラの価値は既に半減していますし、これ位で参っていたらこの国で仕事はできません。
気を取り直してホテルに戻り、持参したキリムを抱え、クレーム修理を依頼しに行くと、ここでは割とスムーズに話が進み、次いで、バザールの中の両替商でドルとリラを買いました。
リラはともかくドルレートが心配でしたが、130.7円位と、日本で両替するより安い。
これはある程度のまとまった金額の際の特別レートらしく、私は交換レートの書かれた紙だけを渡されて、看板も何もない監視カメラとドアだけの店に連れて行かれ、先ほどの紙を渡すと、100ドルは綺麗な新札、リラは100リラ札が100枚単位でつづってある束を貰い、リラ安のせいでポーチがパンパンになりました。
この交換レートの良い店を探すのにかなり手間取りましたが、これで、朝食の損は取り返しました。
その後、日本から持参したキリムの余り部分を使いクッションカバーに加工する等、初日からフルに働き、翌日の仕事が殆どなくなりました。

2022/ 6/22

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久々にトルコに行ってきました。
既に買い付けてある品々がどうなっているのか確認するため、そして、コロナの後、キリムが高くなったという噂を確認するためです。
事の発端は、偶々立ち寄った旅行会社のカウンターでイスタンブル往復航空券が普通の価格で手に入る事を知り、調べると、トルコ入国にはワクチンの接種証明のみと分かり、問題は日本再入国の時だけ。
ただ、直行便は羽田発のみで、岡山からの国内航空券と帰国時の羽田で一泊が必要。
いろいろ熟慮しつつ、ラマダン明けの機会を狙ってスケジュールを組むと、何となく行けそうな感じになり、トルコ航空のチケットをオンラインで購入。
こうなると後には引けませんから、いつどこで何をするかマラティアやカイセリの知人とのスケジュールを合わせて、トルコ国内の航空券を買い求めていざ出発。
久々の飛行機も緊張します。
羽田に着いてからどこをどう移動するのかがサッパリ分かりませんが、どうせ同じ(国内)空港内、何とかなるでしょう。
ともあれ、GW半ばを過ぎた5月4日、岡山空港から満席のJALでいざ東京へ。
重量超過も国際線乗り継ぎがあると言って勘弁して貰い、無事に搭乗できました。
あっという間に羽田に到着しましたが、国際線の第3ターミナルはどこなのでしょう。
そもそもここは何処?
JALのスタッフに尋ねると、正面玄関を出て8番乗り場からシャトルバスに乗って第3ターミナルに行くらしい。
不安な気持ちでバス停に行くと、スーツケース持った人達が集まってきました。
ここで間違いないのでしょう。
待つ事15分程度で第3ターミナル行きと記されたバスが来たので乗ろうとすると、車掌が重いスーツケースを運び入れてくれるんです。
東京ってところは、こういうサービスが必要なんですね。
岡山で良かったとしみじみと思いました。
だけど、バスの表示は日本語のみ、アナウンスも日本語のみなので、この辺りはどうなんでしょう?
さて、第3ターミナルに到着しましたが、人がとても少ない。
夜の8時位ですから、深夜の時間帯ですね。
出発フロアの上にある飲食街はガラガラの閉店状態。
晩御飯はコンビニ弁当か・・・と思っていると、一番奥手に「吉野家」を見つけ、ここで済ませました。
大小のスーツケースを引き摺りながら、多目的トイレを借りて歯磨きと汗かいた体を拭って出ると、そろそろチェックインが始まる時間です。
トルコ航空の臨時カウンターにはどこから集まってきたのか、30人ばかり並んでいます。
毎日運航している割には多いなぁと思って列に並ぶと、先回りして荷物に住所タグを付けて下さいと渡され、旅行のときにしか使わないボールペンを出すと、コロナの間にボールペンは死んだ様子。
いくら頑張ってもインクが出ないのを見かねたのか、前に待っていた日本人(乗客)からこれをと、ボールペンを差し出してくれました。
やっぱり「東京なんですね。」
その方は、イスタンブルで乗り継いでイタリアに行くらしい。
私はベローナの国家警察に知り合いがいると話すと、まさに、ベローナに行かれるのだそう。
不思議な縁です。
そうこうしている内に自分の番になり、カウンターに進み受付の制服を見ると、JALの方が代行しています。
荷物を引き渡して座席指定を通路側の空いたところにお願いしていると、「岡山の方ですか?」と言われ、「はいそうです。」と答えると、そのJALの方も岡山出身なのだそう。
岡山独特の方言では話していませんが、発音が岡山独特らしくて、しばしローカルの話題で盛り上がり、くだけたお話ができたものの、東京での仕事は厳しそうなので、「やっぱ岡山は良ぇなぁ。」という事になりました。

2022/ 6/ 6

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