キリムの店*キリムアートアトリエ
【Kilim Art Atelier】 キリムと絨毯販売
こだわりのキリムで作ったバッグや
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ex54 カーズマン/エルズルム・キリム

産地 カーズマン/エルズルム
KAGIZMAN/ERZURUM KILIM
年代 1905年頃
大きさ


面白いキリムが見つかりました。
最初は、その見慣れないデザイン構成、そして、エルズルム近郊で織られたキリム、厳しい自然環境の中で生み出される独特の作風に興味が湧いてくると思います。
一番の特徴である三重に連なったボーダーは、片側ですらフィールドとほとんど遜色のない幅(0.88倍)を有し、圧倒的にボーダーが優位に立つ格好、一般的なキリムの様なメインフィールドに至るまでのオマケではなく、むしろ、ここが主役であるかの様。
そのボーダーに置かれている六角形、羊の角とエリベリンデ、双方を兼ねた模様は、ボーダーの様に小さく描かれるのではなく、通常サイズで堂々と描かれている事もあって、余計に、ボーダーらしくありません。
そして、その狭くなったフィールドに描かれているのが、この地方、エルズルムに好んで置かれるお馴染みのプトラック模様。
もしかして、これ全部がボーダー? 否、違います。
これはメインのフィールド、中でも、アクセントとなるメダリオンなどの中心的な模様だけが目立つのではなく、ボーダーと同等程度の役割を果たす事を期待していたため、ボーダー部が威厳高く、存在感を感じる様に出来ているのです。
また、上下のボーダーのうち、下側のボーダーは失われていますが、白い凹凸の線が見て取れ、フィールドはここで完結していると分かります。
一方で、上端にはボーダーが完璧ではないものの現存し、何故かここだけは一回り小さな六角形模様となって、ボーダー感があります。
その気になれば、このボーダーを手本にして、下端に作り直す事も出来ますし、もし、それで高価になるのが嫌なら、失われた部分はそのままにして、房止めするだけで提供することも可能。
何故なら、これはただ古いだけのキリムではなく、一般に言われる所の「エルズルム」だからです。

では、産地について少し考えてみましょう。
先ずは、位置関係から。
(グーグルマップ等で地図を閲覧できる方は、そちらもご参照下さい。)
ご存じエルズルムは北部の要衝、これより東に位置するカルス県等との交易では必ずここを通ります。
現在でも全ての道路がエルズルムを拠点として東北部へと広がり、結果として、エルズルムのマーケットでは、隣のグルジアやアルメニアだけでなく、アゼルバイジャンのキリムまでもが取り引きされます。
そもそも、カルス、カーズマンとエルズルムは200km程しか離れて無く、物流拠点となるのはエルズルムかアルメニアのエリバンのいずれか。
アナトリア各地には、エルズルムを通じて様々な物が流れて行ったので、カルス以北か東北部のキリムを適当にエルズルムと呼ぶ方法もあながち間違いではありません。
しかし、エルズルムのキリムはその名前が有名になってしまい、余計なネームバリューが付与される事から、その取扱いはとてもデリケートになります。
しかも、運悪い事に、エルズルムは典型的なクズルキリセのタイプを除き、ほとんどがカルス、カーズマン、又は、西部のバイブルトのデザインがミックスしています。
実際に、エルズルムと謳われるキリムの半数以上は明らかに他の土地の産、残り三割程度がミックスタイプ、二割程度が生粋のエルズルムです。
そして、これはそのミックスタイプ、正直に言えば、カーズマンの影響が強く出ていますが、キリムそのものはエルズルムのデザインが使われています。
例えば、カーズマンではこの様な半身だけの羊の角ではなく、上下に角があるタイプを用い、この手の角模様は、エルズルムのフィールドなどを埋めるのに使われています。
プトラックにしても、これはカルス/カーズマンの物では無く、むしろ、バイブルト方面のものです。
色合いはどちらとも言えませんが、ややカーズマン風。
ただし、カーズマンに多い濁りのある色合いよりも、随分ハッキリとした色合い。
なお、画像でオレンジぽく見える色合いは、赤色が少し朱味を帯びたもの、間違いなく古い時代の天然色です。

最後に糸質。
細い糸でぎゅっと引き締まった感じは、カーズマンよりもエルズルムに近いと感じられ、経糸にはカルス/カーズマン地方の太目のブラウンではなく、少しブラウンのウールをミックスした細い経糸を使って、薄手に仕上げてあります。
所々、十字の模様を使っているのはこの地方ならではの特徴で、白色にはシムが使われています。

結論として、これはエルズルムとカーズマンの中間辺りで織られたキリムと推察され、見た目にカーズマンの色調をしているので、カーズマンと呼ぶ方が相応しいものの、細部の特徴はエルズルムと瓜二つです。
ちょうどこのキリムが織られた時代は、露土戦争の後に生まれた娘さんが年頃になった頃です。
戦争中は、エルズルムまでも陥落し、結果として、エルズルム以北をロシアに割譲し、カルスサハリン州が置かれた時代、イスラム教徒の多くがロシアの支配を逃れるために、エルズルムに移り住んできたため、この様なキリムが多く生み出される事になりました。
なお、同戦争の表舞台は、バルカン半島のスラブ諸民族がロシアの助けを借りてオスマン帝国から独立する為の戦いであり、結果としてブルガリアが480年もの支配から独立する事になるのです。



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