キリムの店*キリムアートアトリエ
【Kilim Art Atelier】 キリムと絨毯販売
こだわりのキリムで作ったバッグや
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ex66 ヘルキ・絨毯

産地 ヘルキ HERKI CARPET
年代 1920年頃
大きさ おおよそ400*150cm


ヘルキの大判絨毯。
この絨毯は、トルコ地震の前、5月にマラティアで見つけました。
今月中には届くと予想され、ex65同様にここでご案内します。

まず、ヘルキとはクルド人部族の名称、クルド語でハルキと呼ばれる彼らは3つの部族で構成され、その居住地域は、北はアナトリア南東部、西はシリア、南はイラク北部、そして東にイラン北西部と4つに分かれています。
その内、イランで遊牧生活を送っていた彼らは、イランの岩塩をイラクに運び、(大・小)麦をイランに持ち帰っていました。
そう、遊牧民といっても羊飼いではなく、ラクダの小隊です。
ヘルキのキリムや絨毯は実に多種多様で、とても同じ部族のものとは思えないのは、居住エリアが広範囲に広がっている事が影響しています。

また、ヘルキ族は勇敢な戦士として知られ、昔から男性に交じって女性が戦闘に加わる姿が見られたそうです。
現在も、イラク領クルディスタン自治政府の戦闘部隊ペシュメルガ(クルド語: 「死に立ち向かう者」には女性部隊があり、戦場に立つ女性兵士としてメディアに取り上げられる事もしばしば。

さてこの絨毯、織られた場所は、トルコのハッキャリ地方南部の山岳地帯を超えたイラク側、現在のモスルやアルビル近くだと思います。
何故なら、強靭な編み込みの房がハッキャリのキリムに似ており、精度の高いトルコ風の絨毯に出来ているからで、当時は同じオスマン帝国領でした。
現在のクルド人の居住地域はイラン、イラク、トルコ3国の国境の交わる山岳地帯に移っています。

これら古いヘルキの品質が優れている理由の一つは、第一にそれらに対する情熱の違いです。
ではなぜ情熱に差異が生まれたかと言えば、居住地域に国境が引かれた為、農耕で生計を立てる必要に迫られ、遊牧に必要な品々の需要が無くなったため。
また、クルド人居住地域には石油の埋蔵が確認されたため、利権を得ようとする西洋列強の庇護の下にあるアラブ人と戦いが起きた事も影響しています。

さてこの絨毯、パイルを長くカットしたヤタク(ベッド)と呼ばれるもので、遊牧民が寒さから身を守る為に考案し、使われていました。
ただ、この作品に限っては飾りとしての用途の可能性があります。
とても重いですが、ラクダに乗せて季節毎に運んでいたのでしょうか?
長さは420p位ある上に、長い房があるため、もう少し長めに見て下さい。
横幅は記憶がありませんが、大体この位と思います。

購入の判断に際して、実物をよく見て回りました。
この時代、ヘルキの人達が化学染料を手に入れる事の方が困難なので、天然色なのは間違いありません。
普段、人物像が描かれたものは絶対に買いませんが、これは人物描写が素晴らしく、人の顔もデザインとして背景に溶け込んでおり、立ち姿が美しい。
描かれているのはいずれも女性像と思われ、かかとのある靴を履いている事から、正装した様子か単なる願望かのいずれか。
子供の像は子宝に恵まれるよう願いを込めたもの。
いずれにしても女性像を絨毯の主役として織り込むのは、ヘルキらしさの表れではないでしょうか。
当時、この地の女性達がどのような生活を送っていたのか、その一端が垣間見えます。
戦乱で失われた過去の資料が今現在、どれほど残っているでしょう。
その点、これは生活の風景までもが分かります。
もしこれが、幾何学模様ならば興味が湧かなかったと思います。

ヘルキに関する記事を調べていて、次の様なものが見つかりました。(自動翻訳)
ヘルキ・クルドの女性達は、(ベールを被らず)見知らぬ男性に対して恥ずかしがり屋ではありません。村人または遊牧民の女性の生活は非常に過酷で、多くの重労働を必要とします。
ヘルキ・クルド人は精巧な民族衣装で特に有名です。男性の衣装は、だぶだぶの色付きズボンと、手首の部分で分かれた大きな袖が肘で結ばれた無地のシャツで構成されています。
女性は通常、鮮やかな色の刺繍が施された厚手の服を着ています。
今日、多くの田舎のクルド人は、民族衣装を捨てて西洋風の衣装を着ています。
今思うと、北部クルディスタンのマラティアは、この手の絨毯を手に入れるには最適の場所でした。
買い付けて直ぐに、カイセリに送ってもらうと、丁度、私がカイセリ滞在中に届いたので、これを腕利きのクリーニング屋に持参しました。
クリーニング屋のボスによると、色移りする可能性があるので、洗わずにダストマシーンで埃を除去するだけで売った方が良いとアドバイスを受けました。
しかし、いくら見た目には綺麗とは言え、毛足の長い絨毯ですから、きちんと洗ってから日本に持ち込まないと、日本でクリーニングするとなれば大変です。
万が一のラブルは責任を負わないという了解の下で、洗って貰いました。
それから地震が発生したので、もしマラティアに留まっていれば完全に失われた事でしょう。
9月に訪問してクリーニングの状況を確認すると、良い感じにフカフカになったと思っていたのに、片方の端の方のパイルが上手い具合に解けずに
固まって居ます。
カイセリのキリム屋に問うと、「脱水機」でこの絨毯を回すと染料が流れて色移りする可能性がある為、天気の良い日を狙って洗い、脱水せずに自然に
水が抜けるのを待ったそうです。
その際、パイルを解しながら干せば良いのに、忘れられたよう。
という事で、パイルが解けるようにダストマシーンに入れて回し、洗い上りの埃と共に除去して貰いました。

日本の家庭で、この長いサイズをそのまま敷き詰めるのは難しいでしょう。
それでも、片側を織り畳む等して生活の場に使う事は可能です。
特に寒い地域にお住まいの方には、この重厚なパイルが役立つでしょう。
他のキリムや絨毯がそうである様に、アンティークなのでオールドとは比べ物にならない程品質が段違いな上、結構密にパイルが結ばれているので、
もう100年間使い続ける事が出来ると感じさせる位強靭に出来ています。
使い込めば図柄がクッキリ浮かび上がって来ますが、きっとその頃には、博物館に収められるでしょう。



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