キリムの店*キリムアートアトリエ |
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新着のご案内新着商品の見所や関連した情報を載せています。商品ページを見る前に、見た後にも目を通して頂けると、一層愛着が深まると思います。 掲載スケジュールは、こちら。 |
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12/18 |
オールドS6「シワス・ジジム」 シワスのジジム・ヤストックからの前面。 今はもう手に入れる機会の少なくなったヤストックです。 かねてよりその様に書いてきましたが、セールストークと受け取られがちな中、今回ばかりはいよいよ終わりに近付きました。 いずれにしても、今の価格で買い付けたのでは販売が不可能、かつて買い集めた在庫からの紹介になります。 このジジムはカイセリで買い付けました。 記憶は曖昧ですが、店内でふと見かけた自然な風合いが気になり、手に取ってコンディションを確認。 表と裏の色合いが違うと修理が大変だからですが、運良く無傷の様。 このジジムの裏面をご覧の通り、退色していない濃厚色のまま、あるいは、アンタルヤの高熱で短期間で退色させたキリムなら見つかります。 しかし、時間を掛けて少しずつ、ゆっくり退色した色合いのキリムが、元の状態のままで提供出来る事は殆どありません。 果たしてどんな色彩になって行くのか見当もつかない事ですが、こういう絶妙な色合いになるのです。 ある意味、化学染料の醍醐味とも言えます。 小さなサイズですし、何処に敷いても置いても飾っても良く、どんなテイストのお宅でもきっと似合う事でしょう。 |
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12/11 | オールドS6「アンティーク・シャワック・ガジャリ・トルバ」 マラティアで買い付けたシャワックの小袋。 いくらでも在庫にガジャリはありますが、殊の外色美しいので買い取りました。 もしも破損が無ければ、応分の価格設定になったと思います。 この色彩の組み合わせは他に見た事がありません。 その用途には、女性用の袋物という事で、衣装袋が一番に考えられます。 シャワックには彼ら独自の赤子を入れる袋がある様に、生活に必要な殆どの袋物がキリムで制作されていました。 当然、衣装袋もある筈なのですが、それらしいものが見つかりません。 何かしら代用していたものがあると考え、これらがその一つではないかと考えます。 余談になりますが、この袋は、マラティアのボスの店に売り込みに来ていた人から直接、買い取りました。 私が訪問するのは年に2日、それぞれ4時間弱と言う短い滞在時間なのに、その時間によく客が来ます。 地元の名士らしく、この日は、同級生の知事さんがプライベートで合いに来たらしく、少しピンと張りつめた空気感がありました。 その間、する事がないので、偶々、居合わせた売り込み人が持っている物を品定めしていたので、ボスは、欲しい物があるならば直接交渉すればよいと言ってくれた上、買い取った物は自分のポケットマネーで洗いに出してくれる親切さ。 騙し合いが当たり前のイスタンブルとは天と地くらいの差があります。 |
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12/ 4 | オールドS6「エラズー・ヤストック」 今回、少しテーマを絞って掲載して見ようと思いました。 生活に根差したキリムという事で、そのテーマは、『Living with Kilim』。 例の書籍とは違い、アナトリアの各地で生活の中で使われていたキリムという位置付けで、選択はいずれも私の思い付きです。 どうしても袋物が多くなりますが、単なる収納袋というより、制作者のこだわりが感じられる品々です。 その一番は、エラズーの方面で制作されたと思われる大振りなヤストック。 地理的に、マラティアの市街に近く、エラズー産の物は大抵がマラティアに流れるため、誰もがマラティア産だと勘違いしています。 これもボスはマラティアだと言い、「君はどう思うか?」尋ねられたので、とっさに「エラズーだと思う。」と返答すると異論は一切なし。 以前、他の所で書いた事がありますが、マラティアとエルズルムにはデザイン上の共通点があり、その途中にあるエラズー、トゥンジェリ、エルジンジャンと東に向かうにつれ、エルズルムに近い面影が感じられます。 手に入れたのはかなり以前の事で、販売するのが惜しくなって、長い間保管していました。 |
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11/27 | クッションカバー取り混ぜ「40cm5枚と50cm1枚」 私の手持ち在庫から加工したものとクッション工房が保有していた物の取り混ぜ。 偶々、クッションへKバーの加工をお願いに行った際、既に加工済みの在庫があるので見て行くようにと言われました。 その言葉に甘えて、初めにサイズ毎の価格を聞いた上で、在庫としてあったクッションカバーの中から一番良い物を選びました。 最初に価格を尋ねたのはこの為、良いものだけ少数を買うと言うと、相手は決まって価格を変えてくるからです。 サチカラ、カルスも他に在庫がありましたが、穴が開いたままであり、修理の代金がクッションカバーの価格以上になるので見送りました。 因みに、カルスだけは小さな修理が必要で、知り合いの修理人の下に持参しました。 天然色の古くて細い糸が必要な為です。 一目見た彼は、”Cok Ince !”「細かいね!」と言い、彼の店内を埋め尽くす古い糸の中から二人して最適な物を探して直しました。 在庫からの作成分はいずれも過去に掲載したもの、カラジャダーはカットキリムとしてご紹介したものです。 (各々のページに載せると見難いので、単品扱いとして「取り混ぜ」にまとめてご紹介します。) 当時はまだ加工賃も送料もそれほど高価ではありませんでしたが、今では加工賃7ドル(1枚当たり)と輸入にかかる諸経費で1,000円前後(重量による違い有)にもなる上に、キリムの原価が加わります。 販売価格3,000円台は、今では赤字になる価格です。 |
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11/20 | コレクション・チュアル「マラティア」 憧れのスマックチュアル。 遥か以前には幾度か見かける事はありましたが、今や、市場に出回るのはコレクションとして保有していた人が手放す時だけ。 それ程手に入れるのは難しく、現実的にはほぼ不可能。 マラティアに足しげく通いましたが、マラティアですらついに手に入れる機会はありませんでした。 フラグメントならば、時折古い物が見つかるので、可能性はあります。 その為、かつてネベシェヒルで手に入れたこのチュアルの希少性が良く分かり、手放すつもりはありませんでした。 ただ、今回のチュアルシリーズのトリを務めるにはこれしかないと思い、掲載します。 今、仮にこれと同等レベルの物が見つかったとしても、高額な価格を提示される事から、到底この価格では販売が出来ません。 もっとも、本当に見つかりませんから、その心配は無用。 仮に東京の店舗であれば、軽く50万円位はふっかけられる品物です。 ただ、もうそのボッタクリもできなくなるくらい、市場から消えました。 今度、ガジアンテップ辺りまで足を延ばしてみようと思っています。 |
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11/13 | コレクション・チュアル「マラティア」 マラティアとエラズーの県境辺りで織られたと思われるシャワック。 頻繁にマラティアに行っていると、気が付くとなぜかいつも会う人が居て、自然と顔なじみが多く出来ます。 ふとした時に「出身は何処?」と聞くと、「エラズー」と言うので、シャワックについて尋ねたのですが、キリム屋で働いている彼も良く分からないと前置きした上で、「シャワックは、エラズーの特定の地域にだけ住んでいる遊牧民で、何処にいるのかすら分からない。」と。 これ以上、深く知りたければ、その特定の地域を探して尋ねるほかありません。 その魅力に取りつかれたのが、マラティアのボス 裕福な農家である彼は、シャワックの作品ならば何でも買い取っていました。 ボロキレだろうとお構いなしの様。 確かに、シャワックはその糸から特殊で、キリムは勿論、絨毯ではその魅力が最大に発揮されます。 ただ、キリムのコレクションの一つとして持っておくのであれば、これはその良い候補になると思います。 |
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11/ 6 | コレクション・チュアル「マラティア」 マラティアかガジアンテップで織られたキリム。 割と最近になって、ガジアンテップがチュアルの名産地と知り、その特徴等を見るにつけ、これもその可能性が高いと思うようになりました。 既に、マラティアとして掲載されているものも、同様にガジアンテップのものがあります。 マラティアの方が市場で広く知られており、また、実際に、マラティアを経由して出回るものが多いので、ある意味、マラティアでも間違いではありません。 それ以上に詳しい事が知りたいと思うと、キリが無くなります。 ただ、こうして、スマックのチュアルばかりを掲載していると、スマックの織り方等いろいろと違う事が分かってきます。 一概には言えませんが、仕事が良いのはガジアンテップ系、でも、色合い的にはマラティアに分があると思います。 さておき、このチュアルとペアで織られたもう一枚が、まだマラティアにあります。 おそらく、マラティアのボスが別の機会に買い付けたのだと思います。 ただ、残りの一枚はキリムに裂けがあり、これの様な無傷という訳には行きません。 ですが、クレイジーなボスは、その壊れた方に高い価格を提示してきます。 勿論値切れると思いますが、それだけでは魅力がありません。 今度行ったらそう言って、原価はいくらか聞いてみようと思います。 |
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10/30 | コレクション・チュアル「アンテップ」 質・量ともにマラティアに勝るとも劣らないアンテップのチュアル。 マラティアだと考えているもののいくつかは、おそらくアンテップです。 彼らの仕事は、とにかく細かい。 色や模様の変化に富んでおり、織り上げるのは大変だと思われます。 これが大きなチフカナットになると、それはもう2年がかりの大作です。 私達日本人はそうした手の込んだ仕事を「素晴らしい」と感じます。 一方で、欧米人は、大判のキリムに模様がぎっしり詰まった物を見て、「落ち着かない」という人も少なくありません。 ライフスタイルの違いも大きいと思います。 大きな部屋に大きな模様のゆったりしたキリムや絨毯が似合うと思いますが、日本のような環境では、目の届くところにはお気に入りの物で満たされる事で心地良さを感じる事の方が多いからだと思います。 勿論、手の込んだ仕事振りは、日本の職人肌に通じるところがあります。 チュアルだからこそ、中央のスマックに心血を注いだ昔のクルド人の心意気を感じさせる作品、それを心地良いと感じて頂けるならば、これ以上のものはそう見つからないでしょう。 |
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10/23 | コレクション・チュアル「マラティア」 マラティアで織られたキリム。 勿論、チュアルとして制作されたものの、使われていた形跡はありません。 おそらく箪笥の中に折り畳んでしまって置かれた物です。 念のためにお伝えしますが、マラティアのクリーニングは余りレベルが高くないので、イスタンブルに送り、そこで再度のクリーニングとストレッチを行いましたので、仕上げは完璧。 このまま飾るも良し、偶に敷物として使うも良し、何をするにしても申し分のないキリムです。 因みに、私がイスタンブルで仕入れる価格は相場が800ドル、頑張って値切って700ドル。 そこからクリーニングとストレッチを行い、日本に輸入すると、簡単にこの販売価格を上回ります。 実質的にイスタンブルからの仕入れ価格と変わらない価格での販売です。 他の店に行けば、2から3倍の価格になります。 |
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10/15 | コレクション・チュアル「マラティア」 マラティア近郊で織られたチュアルからのキリム。 マラティアからの帰り道、カイセリに寄り始めた初期の頃に見付けました。 もう8年位前の事です。 当時既にもう少しでアンティークであり、価格が安ければ買い取ろうと思って価格を尋ねると、案外最初から良心的。 理由を尋ねると、このままでは見栄えが悪く、ストレッチしてもフラットになるかどうか分からない。 もしフラットになったとしても、色の濃淡は残る。 しかも、カイセリ辺りのストレッチは素人に毛が生えたレベルなので、下手にストレッチしてしまうと皺も直らず、色むらだけが出てくると言う結末。 事実、私はアクサライに頼みましたが、直り切らずに戻ってきました。 なるほど、誰も手を出さないのはこういう事だったから。 ですが、私はイスタンブルでトルコで一番のストレッチ屋に出せます。 腕の違いは歴然、たった二日程度のストレッチで簡単に直って、この通りです。 下手な化学染料のオールドキリムよりも安価なアンティークのチュアルは、多分これが最後です。 |
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10/ 9 | コレクション・チュアル「マラティア」 カイセリで8年位前に買い付けたチュアルを開いたキリム。 中央アナトリアに位置するカイセリは、東部地方、マラティアや少し北のバイブルト方面からの人や物の流れがここを中継して、アンカラ、イスタンブル方面へと流れます。 ただ、今では物品はトラックで運ばれるため、中継地点としての役割はかなり低くなっていますが、カイセリの巨大なバスターミナルを盛る度、かつての賑わいを思い起こします。 その所為か、カイセリには今もマラティアに引けを取らない程、マラティアのキリムや絨毯が流れてきます。 これもその内の一つ。 かなり前に買い付けた物の為、オールドのキリムより安価な価格設定、今ではもう滅多に見付からないチュアルの完品です。 なお、市場価格の変動により、掲載価格は随時変更致します。 |
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10/ 2 | コレクション・チュアル「マラティア」 マラティア辺りの産と思われるチュアル。 これと似たデザインはマラシュにもありますが、その色彩の組み合わせは異なりますし、経糸にもブラウンを使う等、かなり違う部分があります。 広い意味合いで、マラティアとしておけば良いのではないかと思います。 少し話はそれますが、オールドでも特に高品質なチュアルがマラティアでは見つかります。 以下の物が掲載済みの高品質タイプです。 M4: M189・M190 産地の話は別にして、これ以上に高品質なチュアルと言えば、特上のレイハンルかベルガマくらいしか思いつきません。 このキリムの原価+修理+ストレッチ等に費用が掛かっていますが、買い付ける時の私の判断ミスでもるある為、かなり割り引いて価格設定してあります。 |
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9/25 | コレクション・チュアル「マラティア」 マラティアで買い集めたセミ/アンティークのチュアルが、ある程度の数量が集まりましたので、掲載場所を改め、少しずつご紹介します。 まだ現地、マラティアで発送を待っているもの等もあります。 この手のチュアル、以前から破損したものはよく見かけました。 何かしら重量のある物を運んでいたのでしょう。 その為、クッションカバーになっているものをご覧になった方も多い筈。 今、少し当時の記憶が蘇りました。 元のオーナーが中央アナトリア方面に住んでいたか、その方面で買い付けたという話をしていたと思います。 仮にそれが正しいとしても、その持ち主がマラティアから移り住んだという仮定も出来るので、マラティアの可能性がやはり濃厚だとは思います。 買い付けた当時既にチュアルが見つからなくなり、価格が上がっていましたが、昨今どれくらいの相場になるのか聞いてみたいところです。 丁度、カイセリに行く都合があるので、さらりと市場価格を聞いてみようと思っています。 その為、今回ご紹介するのは少しだけです。 |
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9/18 | 「アンティーク・レイハンル」 レイハンルの半分サイズ。 色合いの構成が良く、かつ、とても密に織られた職人気質の高いキリムです。 余程の事でもない限り、半分のキリムは買いませんが、これは余程の枠に該当しました。 レイハンルと呼ばれるキリムにもいくつかタイプがあり、殆どアダナのキリムなのに少しだけレイハンルや遊牧民系の荒い、レイハンルの気配のないレイハンル等もあります。 そんな中、これは色合い、品質共に、トップクラスのレイハンル。 いつか実物を目にする機会があるなら、私同様に欲しいと思う人があると思いました。 かなり前に買い付けた物なので、今の相場は分かりませんが、チフカナットの少し良いやつの相場は、私の仕入れ値が98万円(1ドル150円換算)です。 買い手があるかどうかは別にして、今のイスタンブルの相場だとそうなります。 |
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9/11 | コレクション4「アンティーク・アラプギル」 緑に始まり緑に終わる。 このキリムを手短に表現するとしたら、そうなります。 撮影を始めた際、カメラ越しに緑色が綺麗なキリムだなぁと思いながら続けていると、次第に緑の色むらがムラムラと現れてきて、最後には緑ばかりに目が行きました。 凄い緑だなぁと思って裏返すと、想像以上の更に濃い緑が見えます。 もしかすると、カイセリでこのキリムを見た時、この裏側が見えていたのかもしれません。 この強い緑色が全体に見られるものは、150年位あるものです。 この薄さを考え合わせると、それに匹敵する位の年代があるでしょう。 一体どこに眠っていたのか分かりませんが、カイセリからイスタンブルに戻る数時間前にこれを手に入れる事が出来たのは幸運でした。 コロナ前、今から5年位前に買い付けた物です。 |
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9/ 4 | フラグメント「アンティーク・コンヤ・絨毯」 コンヤ方面のとても古い絨毯。 売り主もコンヤだと思うというくらいで、詳しい事は何も分からない。 彼のコネは広く、古い物が集まるので、地元の業者も割り出し物がないか見に来るほどです。 これも誰かの手に渡っていたら、18世紀のカッパドキアとして売られると思います。 実際、抑え糸として織り込まれた黄色い糸が残っており、コンヤかカッパドキア辺りの産であり、優に150年位の年代があるものです。 上手く当て布をして、薄暗い場所に飾れば価格以上の見栄えがするでしょう。 (申し訳ありませんが、現在、加工は承っていません。) |
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8/28 | 素敵なキリム「アンティーク・.シワス・ヘイベ」 最高に色美しいシワスのジジムヘイベ。 以前、これを上回る位のものを手に入れた事がありましたが、その貴重さが分からず手放してしまったので、これが私の中での最高傑作です。 販売用というより、こういう優れた逸品がかつて作られていたという事の証として手元に置いておきたいと思っています。 仮に、販売するとしたならば、今現在はイスタンブルの卸値の半分程度。 優れている物の方が半値では安過ぎるような気がするので、将来的にはイスタンブル並みに価格を上げたいと考えています。 それでも小売価格としてはまだ低いです。 もう市場には残っていません。 コレクターが高齢や病気で手放すなどの際、一時的に出回るだけです。 |
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8/21 | フラグメント「アンティーク・.シワス・ヘイベ」 色美しいシワスのジジムヘイベ。 遠目に見た時と違い、太陽光の当たる場所で近くを見ると何と美しい事でしょう。 大判のキリムも美しいですが、こうした小さなものではそれが凝縮されており、天然色の素晴らしさ、織りの技術を再認識させられます。 一つのヘイベが完成するまでに注がれた苦労の時間も、それを苦労とは思わず、こうした美しい作品を生み出した、昔の人の知恵と技術は何物にも代えがたいものです。 さて、実は、イスタンブルの知り合いの店に、これと瓜二つのヘイベがあります。 そのイスタンブルの物は、年代は少し若く、青色はfg91と同じですが、緑が綺麗です。 価格を尋ねたところ、凡そ30万円。 その店は見知らぬ業者ではなく、過去に数百万程度も購入した店なので、ある程度値引いた価格ですから、市販価格はいくらになるのでしょう? 私の掲載する物は、その業者向けの卸価格の1/4であり、状態面を考慮しても著しく低い価格設定にしているとお分かり頂ければ幸いです。 他の3作品も、市場価格より低く設定しているのは間違いない所です。 |
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8/14 | フラグメント「アンティーク・.シワス・ヘイベ」 白ジジムのヘイベ3枚目。 掲載予定の在庫があと2枚、マラティアからの入荷待ちがあと1枚あります。 今回から、シワス風のヘイベ、このデザインは一番ポピュラーなタイプです。 他のどれとも色合いが異なるので、たぶん、この制作者の家庭、若しくは個人が好んだものだと思います。 私がこのヘイベをマラティアで見た時、色が淡いので「要らない、買わない。」と断りました。 薄暗い照明下で濃い緑色が見つからず、瞬時のひらめきで判断するので、年代が若いと思ったからです。 それでも決して裕福ではないマラティアのローカルバザールで、何か一つ買ってあげたい気持ちもあり、かなり価格を値切りました。 その後で、彼のおごりで食べ切れないほどの晩御飯をご馳走になり、悪い事をしたと反省。 それから、コロナがあり、カイセリに送り届けた後も発送を忘れられ、行方不明になったものを店の中から探し出し、必死の思いでやっと日本に送り届け、洗って、干して見ると、あらびっくり。 これは紛れもなくアンティークではありませではありませんか。 見れば見る程、ゾクゾクする天然色のオンパレード。 例の濃い緑色を発見した時に、値切って申し訳ない事をしたと思う反面、一体いくらで買い取ったのだろうかと、ふと考えました。 |
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8/ 7 | フラグメント「アンティーク・.シワス・ヘイベ」 白ジジムのヘイベ。 似たような白いジジム、ヘイベもコンヤにはそれなりの数量が見つかります。 ですが、明らかに仕事・技量が段違い。 また、素材も違い、コンヤ方面の撚りの強い糸で織られた張りのあるキリムベースではなく、柔らかく、上質なウールの上にジジムが織り込まれており、薄くて耐久性等は考えていなさそう。 到底、ヘイベには不向き。 飾りとして取っておけば良いと思うのですが、酷使されています。 織られたのは、広大なシワスでも、マラティアとの県境近くの何処かの村です。 使って壊れると分かっていながら、どうして、こんな立派な細工で仕上げるのでしょう。 この村の人達だけ、同じような細工をしていたので、選択肢が無かったのだと思います。 加えて、ここまで念入りに作るとすれば、婚姻の際の持参物だった可能性も大いにあります。 それなら、張り切って作る理由があります。 例え使用されて壊れようがお構いなし、自分の持つ技術の全てを注ぎ込んで制作したのでしょう。 こうして、その名残りが見られるだけでも良かったのかもしれません。 |
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7/31 | フラグメント「アンティーク・.シワス・ヘイベ」 白ジジムのヘイベ。 集め続ける予定でしたが、マラティアが地震で崩壊し、仕入れ先も無くなったため、また、この業界そのものが消滅していく途上にあり、これ以上の収集は困難と判断し、ご紹介する事にしました。 そもそもが、汚れやすい白色、そして、薄手のジジムでヘイベを作るのか分かりませんが、こうして、使われていたものは必ず破損しています。 極一部には、外周を革でカバーしたものがあり、それはレザーが保護しているので確かに程よく残っていますが、稀です。 品物自体がヘイベという事もあり、ほぼ観賞用となりますから、多少の破損はあってもそう支障はないと考えます。 逆に、状態が良くて割高なものは、その価格に悩まされる事になります。 適度に破損して、価格も控えめであるのが一番。 ヘイベという造形を楽しみつつ、細工の細かさ、流れるようなデザイン性といった面が楽しめます。 以降、掲載予定の物は状態に難ありとなるか、状態と色合いの良い物は価格面で難しいものになります。 |
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7/24 | コレクション2「シャワック・ヘイベ」 シャワックのキャメルバック。 当然、この手の珍しいものはマラティアでしか手に入りません。 マラティアでお世話になっている地元のボスは、代々農家で100年の歴史がある名士。 彼自身が裕福な所為もあり、自分が欲しい物を買い集め、売れようが売れまいがお構いなしでコレクションしていたのがシャワック。 その彼も来年にはリタイヤするというので、価格も安くなり、いくつか目ぼしい物を選んで買い取りました。 一番の自慢はやはり珍しい事。 彼のコレクションの中にシャワックのヘイベ、小さなサイズは数枚ありましたが、大きなヘイベはこれ一枚。 マラティアのボスは、こうした立派で大きな古い物の事を、Father of Savakを意味するババ・シャワックと呼びます。 次に、破損が無い事です。 以前は、修理が無い物は割高な価格でも、最終的には修理しない分だけ割安になりました。 それが、今や修理の必要のない古いキリム自体が存在せず、市場価格はやはり高くなってしまう側面もあり、どうせ高くなるなら、破損が無い方が望ましい。 最後は、やはり私もシャワックが好きだからです。 シャルキョイやレイハンルのキリムが好きなのと同じように、シャワックの古いキリムは薄くて、まるで紙のようなキリム、レイハンルよりも薄手です。 そんなシャワックの伝統文化が詰まったヘイベ。 地震で崩れたビルの瓦礫の中から引っ張り出して、仮の倉庫に一時保管されていたこのシャワックに薄暗い中で対面した時、よくぞ残っていてくれたと思いました。 今や、シャワック関連商品が市場から消滅しつつある中、こうした最後の一品を手に入れられたのは幸いでした。 |
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7/17 | コレクション2「アンティーク・ディリジャン・ヘイベ」 撮影済みの在庫の中から次に掲載する品物を探した時、少量、ユニークなヘイベが目に付きましたので、これらの掲載を始めます。 いずれもコレクション性の高いもの、もう市場には出て来ません。 先ずは、ディリジャン部族の婚礼の持参品と思われるヘイベ。 この赤色をメインに据えた色柄は、かなり派手です。 日常的に使うものであればここまで過密な装飾は必要なく、もっと隙間が多く、ジジムの下のキリムベースが見えているのが普通。 ヘイベの口の部分には中身が出ないように縛る為の房が取り付けられ、その堅牢な様子から、ある程度重量のある物を入れる事が可能であり、その破損具合を見ても、そうした用途で使われたと思われます。 華美な装飾のヘイベを自慢げに披露した事でしょう。 しばらくの間、それから世代交代が進み、遺産を相続する際に不用品として売りに出されたと思います。 制作した娘さんと血の繋がりのある家族の元を離れるという事は寂しいことかもしれませんが、制作した当時、まさか100年後に受け継がるとは全く想定もして無かった筈。 そういう意味では、自慢の腕前を披露でき、誇らしく思う所もあるでしょう。 |
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7/10 | ヘイベ「アイドゥン」 赤いジジムのヘイベ。 この手のジジムヘイベで数が多いのは、コンヤ方面のもの。 ジジムを得意としたせいか、白いタイプのジジムヘイベが割と見つかります。 ただ、白地は汚れ易く、また、ジジムはベースが薄いので耐久性に劣ります。 そうと分かっている筈なのに、何故か、薄いジジムでヘイベを盛んに作りました。 そして、案の定、白いジジムは汚れて壊れます。 これが不思議でなりません。 幸いこれは赤色なので、汚れがあっても分かり難いもの。 余り使われた形跡が無く、何のために制作されたのかと不思議になります。 梅雨明け近くなり、気温が上昇、敷物としてのキリムが敬遠される事もあって、何を掲載しようかと考えていた所で、撮影済み在庫にヘイベが少しあるのを見付け、今後とも買い取る事はないでしょうから、在庫品をしばらく掲載したいと思います。 |
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7/ 3 | オールドR「マラティア・ランナー」 ランナーとして使うのに最適なキリム。 本当のランナーとして制作されたキリムや絨毯よりも、使い勝手等様々な面で優れているのではないかと思います。 私も自宅で使うランナーを探しており、強度やサイズ等の面で、これが一番でした。 2枚共縦に敷き詰めても良いかなと思いましたが、少し余ります。 もし仮に、上下のキリムを切り取ってそれぞれ別々に販売すれば、トータルでもっと高い利益が出ますが、やはりオリジナルの姿があってこそ。 珍しいキリムですから、このままでご利用頂ける方にお譲りしたいと思います。 前述の通り厚手のキリムなので、耐久性にも優れ、実用面で非常に役立つキリムになるでしょう。 もし売れないようなら、自宅の端から端まで敷き詰めて使いたいと思います。 もし同様にお考えの方がいらっしゃいましたら、まだ収納したままのもう一枚もご覧頂く事は可能です。 |
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6/19 | バッタニエS「バッタニエ」 マラティアで買い付けたバッタニエ。 最後の一枚です。 今年の掲載には間に合わないと思いましたが、丁度、修復が終わったので、もう一度水に浸して、整形した後に干して形も整えました。 先日曜日に晴れ間ができ、撮影を始めましたが、直ぐに暗くなって雨雲が迫っていたため、急ぎ撮影しました。 色合いの再現は今一つですが、それなりに実物に近い色合いは出ていると思います。 少し古い物であり、その分、使われていた期間があります。 コットン房の結び目を解いて結び直す等の処置に手間取りましたが、古い物にはダメージは付き物、その分、修理する事で幾分か割高になるのですが、修理代金は上乗せしていません。 古い物にご理解のある方なら、気に入って頂けると思います。 またデザイン的には非常に分かり易いミフラブのトップが描かれていますが、余計な装飾性を排除しているので、それ程宗教的な印象は受けません。 ひざ掛け等の用途かあるのかどうか定かでありませんが、そういった使い方が向いていると思います。 |
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6/12 | バッタニエS「バッタニエ」 マラティアで買い付けたバッタニエ。 理由は定かでありませんが、お祈り用のバッタニエはこの黒いタイプが多く見つかります。 仮説の通り、これは男性が屋外で使うものだとしたら、ブラウンは女性用なのか、偶々糸が余ったので制作したとか、いずれにしても小さなサイズは黒が主流です。 こういった必要最低限の装飾、かつ、安価で誰しも使う事の出来たお祈り用のキリムは、伝統文化の一端を担うものであり、日本で言う所の民芸そのもの。 染色していない天然色のキリムとしては最安値、これ以上にシンプルな物はチュアルの裏面位しか思い付きませんから、利用方法があるならお買い得です。 マラティア以外で仕入れたなら、このような10年以上前と同じ価格での販売は不可能ですし、そのマラティアももう終わりです。 |
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6/ 5 | バッタニエS「バッタニエ」 小さなサイズのバッタニエ。 マラティアはこれら産地に近い事から、いろいろなタイプのバッタニエが見つかります。 今はもう見かけませんが、2×3m程もある巨大なもの等実に様々。 それだけ選び代もあるという事は、地元の業者も品質の劣るものを買おうとはしませんから、粗悪な物は自然と除外されていきます。 今回ご紹介するバッタニエが特段に優れているという訳ではありませんが、品質的には中の上程度のもので、洗い上がりがとても柔らかくて肌触りが良いのに感心しました。 バッタニエってどんなものだろうと思っておられる方から、良くご存じの方まで幅広く選択肢に入ると思います。 次回は、黒っぽい小さなバッタニエをご紹介予定です。 |
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5/29 | 絨毯S1「シャワック」 袋状のシャワック絨毯。 日本での知名度はともかく、シャワックの名はキリム・絨毯を扱う者なら知らない人は無い程有名。 エラズー方面が本拠の遊牧民です。 イスタンブルの絨毯屋は適当な人が多いので、マラティア出身なのに知らないというケースも割とあります。 ただ、もうシャワックは手に入りません。 マラティアまで行っても半年に2枚程度、それでもグレードの低い物しか見つかりません。 地元の人曰く、もう出回ってこないとの事。 この業界の常として、年々見つかる数量が減る上に、品質や色合い等々のグレードが年々、低下していきますが、価格は下がりません。 ですから、機転の利く業者は、大目に買い集めて価格上昇するのを待っています。 今回掲載するものは、コレクションとして保有している人から売りたいとの声が掛かったので、買い付けました。 当然、以前より割高になりましたが、これを買い付けたのはコロナ前です。 当時、自分達の顧客に400ドル程度を提示していたそうで、流石に当時は販売するのが難しかったでしょう。 |
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5/22 | 絨毯S1「カルス」 カイセリで買い付けたカルスのヤストック絨毯。 カイセリはアナトリアにおける商業の中心地であり、不思議とこういった小物の絨毯も東部から集まります。 最終的にはイスタンブルに行くと思われますが、中継地点で買う事が出来れば品揃えも割と豊富です。 そういう訳で、地元で割と顔の効く友人が買い集めていたたくさんのヤストック絨毯の中から、私好みのものを選んだうちの一つ。 なお、イスタンブルで絨毯の選別作業をしていると地元のおばさま方が店に入って来て、これが綺麗だから欲しいと言われ、いくらか?と聞かれたので、原価+3,000円程度と答えましたが、それでも高かったようです。 いくらだと思ったんでしょう?、限界の価格なのに。 色が綺麗だと盛んにおっしゃっていました。 私は見慣れたカルスなので特にそういう感情はありませんが、艶があって、とても柔らかい点が素晴らしいと思います。 ほぼ天然色です。 |
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5/15 | 絨毯S1「ピシニク」 カイセリでまとめて買い付けたヤストック絨毯の一つ。 当時、マラティア方面から絨毯類が売りに出されていると聞いたので、その流れで出て来たものの一つだと思います。 地震の前には、東部地域からアドゥヤマンに大勢の住人が移住してきており、人口が二倍になったと聞きました。 その一部はマラティアにも流れ、あちらこちらに新しいマンションが建設され、荒れ地が1年後には住宅街になっていた程。 本文に触れた通り、このような分厚くてしっかり織られたヤストックは珍しいので、買い付けました。 一般的な絨毯ヤストックは、使い勝手を考慮してか、絨毯のパイルにそれ程厚みがありません。 マラティアもそうです。 どの産地と比べてもこれ程に重厚なヤストックは思いつきませんから、何かしらの用途があっての事でしょう。 そう言えば、ピシニクのヤストックは全般的にパイルが長めに出来ているので、これもその流れかもしれません。 厚手の絨毯がお好みであれば、良い選択肢になるでしょう。 |
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5/ 8 | 絨毯S1「ピシニク」 ピシニクのヤストック絨毯。 見た目、マラティアのオールドの絨毯と瓜二つです。 でも何かが違うと思い、過去に買い付けたヤストック絨毯を見ると、ほぼ同じデザインのアンティークがあり、これもピシニクなんだとそれでやっと気が付きました。 *画像添付あり 買い付けた場所はカイセリ、当地で見つかる地方絨毯等より遥かに目が詰まり、パンパンのパイルが気に入りました。 その時、多少、歪みがあるかなという程度でしか見ておらず、ただ、シンプルでも割と迫力ある構図に惹かれて買い付けましたが、こうして撮影してみると確かに歪みはあるので、やや難ありとしてご紹介します。 コロナ以来、欧米ではネットショッピングが盛んになり、一番人気となったのがこれらヤストック絨毯です。 為替の影響も含めると実に2倍の価格に跳ね上がっているので、安かろう悪かろうは除き、破損の無い完璧な状態のヤストック絨毯ではこれが私の最安値になります。 |
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5/ 1 | コレクション3「アンティーク・バクティアリ・絨毯」 今回のバクティアリですが、オーナー自身もその素性を良く分かっていなかったと思います。 いくつか目ぼしい物があり、仙台の父親に画像を送って販売価格を教えてもらう訳ですが、勿論、適当にふっかけてきます。 例えは、少し特殊な色褪せた化学染料のヤストックを200年前のものだと言ってはばからず、途方もない価格を提示してくるのです。 因みに産地も間違えており、イラクで織られたものなのに、ウズベクのスザニの類と勘違いして一向に譲りません。 こんな素人の絨毯屋を相手にする程暇ではないので、「もう終わった、帰ろう。」と言いながら最後の一枚の交渉に臨みました。 もうお分かりの通り、相手は何も知らない素人同然。 トルコ各地で商談をしていると、割にこういうケースがあります。 オーナーは買った価格以上で売れればいくらでも構わないので、どこの産であろうが、古かろうが新しかろうが関係なし。 車に乗って移動しながら最後のせめぎあいを行いましたが、ここまでくれば勝ったも同然。 一歩も譲らない頑固な様子に相手は驚いたのか、一瞬こちらの顔を見て、向こうが折れて商談成立。 もしこれがイスタンブル等に渡り、そこから欧米に流れていくと、1万ドルという途方もない価格になっていきます。 私の目利きと、少しの幸運があったお陰でここに披露できます(自負)。 今年の公開は見送ろうかとも考えていた所ですが、コレクションのフィナーレとしてご紹介致します。 |
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4/24 | バッタニエM「バッタニエ」 ほとんど使用されていないバッタニエ。 ずっと以前、まだ豊富な在庫があった時期ならともかく、今頃このような程度の良い物が見つかる事はまずありません。 という事は、誰かが選りすぐりを売らずに取って取っておき、現金が必要なったので売りに出したのだと思います。 いずれの品物でも共通する事で、ローカルの買い付け人は買い付けた品物を選別し、良いものだけはより高い価格で売ろうとします。 これ自体、ノーマルグレードの2倍近い価格で販売されたと思います。 ただそれもリラ建ての価格になるので、ドル換算すればそれ程でもありません。 もしイスタンブルに出回るようならそこで更に2倍の価格になりますが、私はマラティアで買い付けたので、この価格で提供が出来ます。 ここまで使用感が無いものなら、飾りに出来るのではないかと思うくらい。 それで、これも飾りに使っていたのかもしれないと思って痕跡を探しましたが、一切見つかりませんでした。 |
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4/17 | バッタニエM「バッタニエ」 マラティアで買い付けたバッタニエ。 その日は日曜日でしたが、皆、個人事業主なので呼べば出て来ます。 地震の後、安全地帯と目される被害が無かった地域に、絨毯屋等様々な店が引っ越ししてきており、マラティアのボスの新しいお店もここにあります。 辺りは真っ暗になった夜の8時頃、「見せたいものが有る」と言うので見に行くと、2枚のバッタニエがあり、どちらも今までに見た事が無い位の上物で、特にこれがボスのお気に入り。 彼もはるばる日本から来た私に早く披露したかったようです。 (憔悴している私は、「明日でも良いのに」と言う気持ちと、嬉しさの入り混じった複雑な心境。) 生憎、日本に届いたのが既に寒い時期だったため、直ぐに洗えませんでしたが、2月の天気が良い時を狙って洗いました。 アンゴラヤギの毛は水捌けが良いので、冬空でも2日で完璧に乾きました。 洗う前はやや汚れている気がしましたが、数時間付け置き洗いして濯ぐだけと、とても簡単。 程度が良い物なので、乾かすだけでこの通りに復元します。 |
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4/10 | バッタニエM「バッタニエ」 コロナの前にマラティアで買い付けたバッタニエ。 入荷が遅れてしまいました。 これらバッタニエは、イスタンブルで偶に見かけても高くなったので、二度と買う事はないと思っていた所、マラティアにて使用感の無い、良い物を見つけました。 バッタニエの産地シルトに近いマラティアですから、地元で見つければ価格は以前と変わりません。 ただ、ドル換算で微妙に高くなった位。 マラティアのボスが長い年月、在庫にしていた為でしょう、価格も安くしてくれたので現状渡しで買い取りました。 天然色ですから洗うのは簡単です。 長年の埃が溜まったままでも洗えば綺麗になりますから、むしろありがたい。 しばらく洗剤に浸したままで何時間か放置し、濯ぐだけ。 起毛の所為かいくらでも泡立つので、しっかり濯ぎましたから、トルコで洗うよりも綺麗になっています。 |
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4/ 3 | コレクション2「バッタニエ」 特別なバッタニエ。 クッションカバーの工房に行った時にバッタニエの山があり、殆ど薄汚い物ばかりの中に何か輝いているものが目に留まりました。 古い物であるとは直感で分かりましたが、大抵、広げてみると破損しているものですが、これはほぼ完璧なのに軽く驚きました。 不思議に思って更に点検していると、壁掛けの跡を見付けたので欲しいと思いましたが、ここはイスタンブル、相手も強気の価格を間違いなく提示してくると思いましたし、事実、そうでした。 諦めて帰国の準備をしようと思っていた所で、店の主人が戻ってきましたので、再び交渉開始。 案の定、雇われ人の懐に入る分が無くなって価格は下がりましたが、まだ高い。 この方は若い時にマラティアから出てきて、修理人として生計を立てていたので、ある程度の目利きでもあります。 ですから、彼もこれが特別な物であると理解しているよう。 ただ、幸か不幸か、私の懐に現金の持ち合わせが無くなっていました。 私の財布の中を見せて、「これが全部。」に「リラがあるだろう。」と言うので、「タクシー代としてこれ位は必要。」と返しました。 いくら頑張っても無い袖は触れませんから、最後に手元に残っていた10ドル札を追加して「これが全財産。」と言って嫌な顔をする相手を押し切って手に入れました。 それから直ぐ、スーツケースを預けてある他の店に戻り、これを畳んでいると、店主が「何処で手に入れたんだ?」というので、やはり見る目がある人には直ぐに分かるようです。 見れば見る程に素晴らしく、見た目、手触り、肌触り等どれも別格です。 元々、バッタニエの市場価値がそれほどでもないのでこの価格になりましたが、二度とは見つからないものであり、もっと高く売られるべきものです。 |
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3/27 | 絨毯S3「カシュクリ」 カシュクリ絨毯を切り分けました。 カシュカイ族の一派であるカシュクリの絨毯は、数量が少ない上に、デザイン性や品質、結び目の細かさなどの点で優れており、市場価値は高くなります。 ただし、これはそう古いものではないため、その差も大きくはありません。 それでも、華美な装飾性がもたらす見た目の華やかさ、パイル密度と言った点では流石と思います。 オリジナルの絨毯に虫食いがあったため、虫食いを全て避けてカットする場合、クッションカバーが僅かしか作れません。 しかし、多少の虫食いを許容すればこのように大き目にカット出来ます。 虫食いを含む分は価格に反映し、一部は原価かそれ以下でのご提供です。 なお、加工前にイスタンブルで4回クリーニングして綺麗になった物をカイセリに送り、カット面にかがりを入れてもらいました。 これだけ全部のかがりを入れて房止めまでして貰うのは一日がかりの仕事、イスタンブルでは100ドル以下で引き受けてくれる人が見つからない為です。 クッションカバーに加工するより、加工賃は少し割高になります。 コロナが発生したのでご紹介するのが遅くなり、カイセリで数年間積んだままであったため、つい最近、自宅で手洗いして表面の汚れを取り除いてから撮影しました。 洗剤を使用せず、(冷たい)水で洗うだけであれば色流れは一切発生しませんから、遠慮なく玄関マット等としてご利用下さい。 |
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3/13 | フラグメント「アンティーク・カザック・絨毯」 ファハラロの珍しい絨毯。 世界の絨毯産業の中心であるイスタンブルでそう聞いていたので、世界共通だと思っていましたが、私の聞き違いの可能性もあります。 今回検索していて、初めて「ファクラロ」という呼び名があると知りました。 グーグルマップで検索すれば、“Fakralo”と書かれた場所が示されます。 地理的にカルスからもそう遠くはなく、カルスからアルメニアを抜けてトビリシに至る街道から少し外れた場所にあるので、最初、制作したのはアルメニア系住民なのかもしれないと思いました。 事実、敵対していたとは言え、同じキリスト教徒であるアルメニア人が当時のグルジアで商業的な飛躍の恩恵を受けたとあり、可能性は強く残ります。 そう言えば、十字の模様がしっかり入っています。 キリムの仕事を始めた頃は頻繁に目にしていたカザックの絨毯、今や絨毯屋か個人のコレクションとなって壁に飾られているのみ。 幸いな事に、非常に多くの知り合いがトルコ各地に居ますから、その気になって探せば見つかるでしょうが、今後とも探そうとは一切思っていません。 ただこれは、偶々カイセリ滞在中に知り合いが何処からか持ち込んできたもの。 「興味はあるか?」と聞かれても金額を言わないものですから“Yok”(要らない)と即答。 その時「あっ、カザックだ」と思いましたが、見向きもしませんでした。 預けてあったキリムや絨毯のケアを指示して、仕事も終わって帰る準備を始めた時に、最終価格の提示がありましたが、画像をマラティアの友達に送ると、「古いカザックだ、幾らか?、裏面を見せてくれ。」と欲しそうに聞いてきたので、オーナーに「買い取る。」と返事して、カイセリの空港まで送り届けてくれたその息子に現金を渡した次第。 壁飾りとして十二分な迫力があるでしょう。 |
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3/ 6 | 絨毯ML「マンチェスター」 カイセリで買い付けたマンチェスター。 これを買い付けた経緯ですが、カイセリに滞在中、過去に買い集めた絨毯やキリムのクリーニングや仕上げのダストマシーンをカイセリの2ヶ所で行っていました。 その内、規模の小さい方のクリーニング屋でダストマシーンを借りている間、エルジス山の麓に近い風光明媚な景観を干渉しながら、洗い上がって干してある絨毯を眺めていました。 そこに干してあるのは、友人が持ち込んで洗って貰った絨毯が殆どです。 このクリーニング屋はそもそも仕事が上手ではなく、洗い場に干してあるものに、正直良い物はありません。 その中で、このマンチェスター絨毯が敷地を囲むフェンスに干してあったので、不思議そうに眺めていると、クリーニング屋の主人がこちらに近寄ってきます。 友人と談笑していたのに、それを遮ってこちらに来たので何となく分かりました。 このマンチェスターを売りたいらしい。 少し値切り交渉に試みましたが、交渉役の友人が安価な価格なのに貧しい人から利益を奪うのは好ましくないというので、言い値で買い取りました。 既に洗って干してある物でしたが、大抵のクリーニング屋がそうであるように、彼は絨毯の表面しか洗いません。 それで、その後にイスタンブルに送って本当のプロに洗って貰い、ついでにストレッチまで施して完璧に仕上げました。 見た目の通り少し若い絨毯ですが、良質なウールとコットンが使われ、最後の仕上げに至るまでトルコでもトップくらいの職人が仕上げたものです。 日本人はおろか、トルコ人であっても買い付けからここまで完璧な仕上げまでを出来る人は、そういないと思います。 それでいて価格は、正統派のマンチェスターなのに、オールドキリムのエシュメの少し良い物と同等です。
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2/28 | コレクション3「アンティーク・.マンチェスター・絨毯」 カイセリで買い付けたマンチェスター。 本場だけに、怪しい偽物に出会う事はそうありません。 地元だけに、まがい物は直ぐにばれてしまうからです。 ただ、カイセリらしく大げさに誇張されるので、品質や年代等を見定める事が出来ないと高い買い物になってしまいます。 その点、これは何処をどう見てもマンチェスター。 もう一枚のコレクション(fc200)と同じか、パイルの目の細かさだけで比較するのであれば、微妙に上かもしれません。 初期の頃に考案されたと思われる模様や色合いが、そのままに受け継がれています。 何故でしょう、このマンチェスターの色合いは退色しません。 それでいて、濃い色彩のままでバランスが取れるように出来ているので、下手に退色させるとバランスが悪くなります。 これぞマンチェスターという絨毯、敷物は勿論、飾りにも使える絨毯です。 |
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2/21 | 絨毯ML「ヤフヤル」再掲載 ヤフヤルの壮麗なモスク柄の絨毯。 カイセリから日本に直接送られてきた時、絨毯のパイルの間には長年の埃が蓄積したままで、ほんのりと赤い色流れがありました。 それを自分で洗って何とか提供できるところまで持ち込んでいましたが、やはり販売する商品に責任が持てないので、スーツケースに詰めてトルコに持っていきました。 大抵は荷物をイスタンブルで下ろすのですが、今回は自らカイセリに行くので、鞄に詰めたままでマラティアへ行き、やっとカイセリまで辿り着きました。 ボーダー背面の白にうっすら赤色が流れていたところは、カイセリのクリーニング専門店で染み抜きをし、それをイスタンブルで、今度は残りの洗剤の類を洗い落とす意味も含めて二度目の洗いしながらの光沢仕上げ。 再掲載になりますが、以前と見違えるように美しくなり、やはりキリムや絨毯は、トップクラス職人によって仕上げまで完璧に仕上げないとダメだと改めて認識しました。 |
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2/21 | 絨毯クッションカバー追加 シルワン…表面から見えない所、縫い代辺りに破損が見つかったため、修理しました。 アンティーク・ガジアンテップ…背面の生地に汚れがあったため、イスタンブルにてクレームで張り替えました。 |
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2/14 | コレクション3「アンティーク・ドゥシャメルティ・絨毯」 アンタルヤの郊外、ドゥシャメルティ村の絨毯。 遊牧民系の村々は大抵がかつて何処も絨毯の名産地でしたが、ここは特に良い条件が揃った土地柄であったと推察します。 なぜなら、キリムの干しの現場に行くまで周囲を観察していると、道路沿いの土地は、少し赤味のある土壌で、雨が降った後はぬかるんで車でも通行に支障があるくらい。 そして、雨の翌日にキリム干しの台地を素足で歩くと、泥の中に足がはまって抜けなくなります。 周囲を見渡すと緑が茂り、適当に枝から切り取ってトマトやキュウリを食べられるくらい土地は肥えています。 このドゥシャメルティ村の近くまでトロス山脈の末端部分が迫っており、普通、石灰岩質なトロス山一帯は、木々の生い茂る事すら難しい場所です。 ただ、ここはエーゲ海側から湿った風が流れてくる事もあり、よく雨が降ります。 それで石灰岩質な土地に堆積した土砂の上に木々が茂り、雪解け水等で土砂が流れて肥沃な土地が出来たのではないかと。 トルコで年配の方が言われるには、美味しい草を食べて綺麗な水を飲んで育った羊はお肉が美味しいと。 当然、羊の毛並みも良くなるはずです。 小さな事かもしれませんが、そういった素地があった上で、絨毯の生産が盛んに行われるようになったのだと思います。 ドゥシャメルティは大抵が室内用の2mサイズ、小さな絨毯でアンティークはほぼ手に入れる機会はありません。 |
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2/ 7 | 絨毯ML「ガセムアバド」 ガセムアバドのペルシャ絨毯。 偶々、様々なトルクメンをご紹介する機会があった時に、運良くこれも準備が整いました。 本文でも触れた通り、コロナもあって長らく自宅で保管していました。 コロナが終わり、渡航できるようになると一番にこの絨毯をカバンに詰めてイスタンブルへと旅立ちました。 マラティアの友人がトルコでもトップクラスの絨毯修理の達人だからです。 彼に修理を頼んで、終わり次第カイセリに送ってくれるように頼むと、2日後には私の滞在しているカイセリに届きました。 カイセリでは、例のクリーニング屋に持参して洗い方を指示した上でイスタンブルに戻り、帰国しました。 そして、これはイスタンブルでもう一度洗いに出し、前作のトルクメン同様に例のストレッチ職人に頼んで完璧に仕上げてもらいました。 途方もない時間と労力を消費しましたが、トルコ各地の名職人が何人も携わった事で、こうして今ご紹介する時が来ます。 前回書いた内容を割愛しますが、イランから仕入れる時、最初はオーナーが高値を提示してきたので、泣く泣く購入を見送りました。 それから半年以上が経過して、再び、「買わないか?」とテヘランから照会があったので全てを悟りました。 いくら珍しいガセムアバドであっても、あの強気な価格では流石に買う人は居ない。 今度は、こちらが値切る番です。 価格を下げてきたものを、更に少し足元を見て交渉した上で買い取りました。 イラン各地のペルシャ絨毯を集めている人、単に色柄が面白いという人、それぞれと思いますが、これが最後の一枚です。 ガセムアバドの薔薇の図柄は数が少ないので、お勧めです。 |
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1/31 | コレクション3「アンティーク・トルクメン・絨毯」 カイセリに実店舗を構えるコレクターの店から買い取った品物。 自らが熱心な収集家で、珍しい物だけを厳選して集めており、キリムや絨毯好きには堪らない店ではありますが、商売熱心ではありません。 つい最近も訪問した所、目ぼしいジジムがあったので価格を尋ねると、オーナーは5,000ユーロで買い取ったと一言。 要するに、それに見合う価格を提示しないと売らないという意思表示です。 かつてここは共同のオーナーが居て、もう一人の方とは仲良くさせて貰い、いつも彼の原価ギリギリの価格帯で譲ってくれました。 今のオーナーの方とは上手く売り合いが付きそうにありません。 その意識変化の一つの要因は、コロナ後のマーケットの変化だと思います。 彼の保有していた割安で良いものがほとんど売れてしまい、売り急いで失敗したと考えている節があります。 いずれにせよ、これは遥かその前に買ったものなので、それ程高価ではありませんでしたが、やはりトルクメン絨毯の価格帯です。 それでも、当時のドル/円が安価な分、この価格設定にしましたが、最初はプラス2万円に設定したところを下げています。 |
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1/24 | コレクション3「アンティーク・トルクメン・絨毯」 既にお気付きと思いますが、しばらく絨毯の掲載が続きます。 コロナ前の前から少しずつ買い集めていた物が、まとめて届いたからです。 これら絨毯は既に入手が困難か、今は高価になっているので、二度と仕入れる事はしませんし、出来ません。 ある意味、最高に在庫が揃った状態。 さてこのトルクメン、前作fc214と入れ違いで買い付けました。 不思議な物で、当時、中々見つからなかったアンティークのトルクメンが、ポンポンと手に入りました。 でも、それが最後だった気がします。 トルクメン絨毯はデザインによって区別されるので、織られた土地の情報が極めて少なく、定かではありませんが、これが織られたのは、当時、このような高品質を誇る土地柄だったのでしよう。 首都のアシガバードからメルブにかけての地域、イランにも近いエリアです。 ヤムットはどれも同じ模様に見えてしまう場合も多々ある中、これは念入りにデザイン構成を考え抜いた様子が伺えます。 この見本となった更に古い時代のヤムットは、更に手の込んだものだったでしょう。 そういう事までも思い起こさせるのが、これら古い絨毯の魅力。 生涯に手に入れる機会は僅かしかありませんが、最後の最後に良いものに巡り合えました。 |
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1/17 | コレクション3「アンティーク・トルクメン・絨毯」 まず入手の経緯ですが、アナトリアを一回りしてイスタンブルに戻った際、ふいに訪れたお店に何枚ものコレクションピースがありました。 トルクメンは得意らしく、それはもう手が出ないようなものまでありました。 コレクションの頁のベルネや最新のレイハンル等、いずれも同じ店で買い付けました。 ただ、これは少しばかり修理が必要たったので、知り合いのキリム屋に頼んで半年後に訪問すると、今一つというか、小さいところは手付かず。 彼らの理論だと、こういった細かな部分は修理しないのだとか。 それでも修理できるのか尋ねると、法外な価格を吹っかけてきたので、他の修理人を探す事にしました。 この業界にいくらでも知り合いはいますが、直接、修理人とのコンタクトが取れない事をその時、痛感しました。 店主に頼むと中間マージンを取られ、しばしば修理代金よりもマージンの方が高いからです。 それでアナトリアの田舎で修理人を探す旅を始め、やっと見つけた時にコロナが発生、コロナが終わると修理の仕事では生きて行けないので、工房が閉鎖。 途方に暮れ、こうした修理案件が何十枚という単位になってとてもマズイ展開になった時、トルコで地震が発生、マラティアでも多くの人が絨毯の仕事から身を引きました。 長くなるので、経緯は省きますが、驚く様な展開があり、かつてマラティアのボスの店で働いていたトルコでも有数の腕利き修理人が私の修理を引き受けてくれる事になりました。 地震の所為で仕事が激減したためだと思います。 しかし、修理までに時間を掛け過ぎたため、修理代金がドルベースで倍増した為、細部の修理は諦めました。 解説でも触れた通り、このアフガン・トルクメンは格別に優れている物なので、完璧に直したかったのです。 結果的に何もせずに時間が経過しただけとなりましたが、やっとご紹介できる時が来ました。 |
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2024 1/10 |
コレクション3「アンティーク・ヘルキ・絨毯」 年末に届きましたので、晴れるのを待って開封作業を行いました。 今年は全部で5つものパイルが送られてきたため、多忙となりお正月のプレゼント企画もできませんでした。 来年には出す予定です。 さておき、このヘルキも一度収納すると運び出すのが大変になると思ったので、開封して干した後、偶々、晴れ間があったので撮影しました。 10日程度の間、折れたまま袋の中に留め置かれたために皺が見られますが、元の画像の通り、しばらくすると復元します。 改めて感じたのは、やはり太陽光があると色合いの再現が良くなります。 それまで緑色が使われている事に気が付かなかったのが不思議なくらい。 何よりこの大きな絨毯を持ち歩いていた遊牧民は凄いなと思うと同時に、クッション性があるので持ち運びは思ったより楽だったと分かりました。 100年以上の時を超えて、はるばる日本までやってきたこの絨毯、誰かこの先も大事に使ってくれる人を探しているんだろうと思えてきました。 |
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12/27 | ジジム3「フェティエ」 お祈り用のジジム。 もう一回り大きいものが主流な中で、この制作者の家庭ではこの小さなサイズのお祈り用が必要だったようです。 移動用なのか、単にこのサイズが必要となったかのいずれかですが、全体的にややこなれているので、一定期間は移動用として使っていたように思います。 ただ、巡り合えた時の充実感が大きかった分、届いた時の実物を見た時は、「間違えた物が届いた」と思った位です。 しかし、少し思いを巡らせるとこのサイズのこのデザインを買った記憶があり、その時の画像とデザインが全く同じなので、何が起こったのかを悟りました。 もし退色している事に評価できる点があるとしたら、天然色だけは白ける程には抜けませんし、赤色系は古いキリムが持つ赤茶けた色彩に変わって、アンティークさながらの味わいにはなりました。 今現在この手のジジムが手に入るかどうか分かりませんが、もし手に入ったとすれば、今の為替で計算すると仕入れ価格は6万円前後になります。 気に入って頂ける方がいらっしゃると幸いです。 |
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12/20 | ジジム3「フェティエ」 お祈り用のジジム。 フェティエには、こういったお祈り用を伺わせるデザインは滅多に見かけませんが、やはり多少なりともこの手のものが織られていたようです。 オブルクやカラプナルのジジムであれば直ぐにそれと気が付きますが、これはフェティエ。 遊牧民は小さなキリムをお祈り用として使い、定住した人達が絨毯やジジムという分け方も有りますが全てではありません。 私達日本人は砂漠の無い場所に住んでいるため、空虚なデザインを好みます。 同様に、欧米の人達も、模様の少ない物を好む傾向にあり、この手のパターンは好みが分かれます。 半面、ゴッホのような独創的な物が好まれるケースもあります。 そう考えれば、これも6本のヒマワリに見えて来ませんか? |
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12/13 | ジジム3「フェティエ」 フェティエのジジム。 かつて買い付けて、取り置いていたものの全てを掲載しています。 いずれも、並みグレードの物とは一線を画すものばかり。 一つ前に精巧無比なタイプをお見せしたので、これはワイルドな面持ちに感じるかもしれません。 でも、フェティエのジジムの中ではかなり高品質なタイプです。 その色使いをご覧頂ければ、制作者の気持ちの入り様が違う事が分かります。 こういう一目見て凄いなと思うものの場合、織り手がそういう反応を狙った節があります。 婚姻の際の持参品にするように準備していた物等です。 織り進めながら考えて進める牧歌的なタイプもありますが、これはそう見えて、用意周到に考え、準備してきたからこそ出来た秀作です。 敷物は無論の事、壁飾りとしても見栄えするでしょう。 そろそろ国内在庫の終焉が見えてきたところ、来年位から新規掲載は隔週にする可能性が濃厚です。 |
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12/ 6 | コレクション3「アンティーク・バクティアリ・絨毯」 このバクティアリは想定よりも早く届いたので今日ご紹介します。 いつもは太陽光のある時に撮影しますが、今回は部屋でご覧になる色合いに近づけようと考え、殆ど太陽光の無い曇天の午後2時頃から撮影しました。 因みに、太陽光のある場所で日干ししている画像があるので、これも参考としてここに載せます。 屋外で見ると色調にメリハリが出るので、識別の難しい色や生成り色等はやはり太陽光に分があります。 予定価格より少し高くなったのは、輸入にかかる経費の上昇分です。 航空燃料高い時期の運賃が適用され、輸送費が嵩んだのと、関税の上昇分をそっくり上乗せしました。 関税そのものは定額税率ですが、配送を頼んだ店の方が輸送会社にから万が一の時に保険が効かないと半ば脅されて実物より高額な金額を書いてしまいました。 実際、何かが起きても保険が適用になった事はありません。 普段のセールスでは嘘ばかりつく割に、他人の嘘は見抜けないようです。 さておき、トルコの絨毯と比べ、経糸もぎっしりでベースがしっかりしているイランの絨毯はかなり長期にわたり使えます。 これから寒くなりますが、冬の季節を生涯楽しめる絨毯は如何でしょう? くどいですが、1ヶ月半程で制作できるニュージーランド産の機械糸で織ったギャベよりも安価なアンティークです。 |
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11/29 | ジジム3「フェティエ」 正直、もうこの手のキリム・ジジムは買っていません。 これより下のグレードを仕入れたとしても、上の価格になるからです。 そうかと言って、安かろう、悪かろうでは話になりません。 かつて、贅沢に私の目で選りすぐりだけを買い集めた中で、これが一際優れていました。 大きさ的には小さなサイズながら、その労力たるや並々ならないものがあります。 一般的なフェティエは遊牧民系のキリムであり、割とざっくりとした物が目に付く中、稀に高品質な物が見つかる事があります。 イスタンブルで一番の卸屋と彼の買い集めたキリムをアンタルヤで見て歩いていると、彼自身も同じ事を言っていました。 その時は縞模様キリムの話でしたが、フェティエ全般に言える事です。 どの産地でも同じ事が言えますが、フェティエではかなり違うので不思議なものです。 アナトリアでは、大抵、仕事の良い物と言えばトルクメンやアルメニア人が絡んでいます。 アルメニア人がアナトリアで遊牧していたのは遥か昔、可能性があるとすればトルクメンです。 そこでいろいろ検索していると、フェティエの遊牧民達が生活していたと思われる場所で、次のような催しが毎年開催されているそうです。 『Yörük and Türkmen Festival』 どうやらトルクメンの人達が何らかの形でこれらキリムの制作に係わっていたのかもしれません。 そして、開催地を見て見ると“Yayla Karaçulha”とあり、正に私が考えていたアンタルヤからフェティエ方面に抜けた場所そのものでした。 案外、良い線をいっている気がしてきました。 |
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11/22 | 素敵な絨毯「アンティーク・.ヘルキ」 オスマン帝国の末期に制作されたヘルキ。 シャルキョイのキリムがそうであるように、アンティークとそうでないものは品質に大差があるので、ここはしっかり強調しておきたいところ。 通常の店では、この手のヘルキのパイルをバリカンで短くカットして、図柄がハッキリ見て取れるように細工、房は邪魔物として切り落とされます。 高く売る為なら何でもするのが昨今のマーケット事情です。 マラティアに赴いた時、地元でトップクラスの業者から、ミュージアム・ピースが手に入ったので、興味はないか?と誘いがあり、見るだけと思って行きました。 実物を見ての第一印象は、以前ならともかく、今、このサイズは「買えないなぁ」と。 確かに博物館にあっても良いものではありますが、絨毯博物館に収蔵される程で凄く古くはありません。 見た目、パイルが艶やかな所為もあって若く見えますが、総天然色であり、退色し難い色彩ばかりのため。 上下のキリムのスカート部分を見れば、目の詰まったキリムの茜色が自然退色しており、アンティークのキリムだと推察出来ます。 でも「買わない。」と決めたので、「アンティークの部類には入るけれど、(あなたたちが思う程)そう古くない。」と正直に言いました。 このまま立ち去るのはオーナーに失礼であると考え、「興味があるんですよ。」という意思表示の為に、一応価格を尋ねました。 すると、案の定、幾ら払うのかと反対質問してくるので、「100ドル。」と返しました。 すると、相手も私の腹の内を悟ったのでしょう、暗い店内ではなく、夕暮れ時でしたが、屋外で見ようという事になり、屋外で見ました。 そこで、正直に「興味はあるので写真を撮らせて欲しい。今晩、考えて明日返事します。」と言って撮影したのがこの画像。 今回のオーナーはバクティアリと違い、特に義理立てする必要が無く、断るつもりなのでいくらでも強気になれ、徹底的に値切り倒しました。 そもそもの話になりますが、クルド人には自分達の国がありません。 トルコ国内のクルド人達はトルコ国籍を与えられ、トルコ人として暮らしています。 他方、クルド人の多く住むイラクはアラブ人の国家であり、イランもペルシャ人の国家ですが、私の知る限り、クルド人が同胞であると明確に答える事の出来たのはイランのみ。 クルド人の文化としてキリムや絨毯は残っていても、もっと深く、どんな生活スタイルを持ち、どんな民族衣装を着ていたのかといった話は文献を探ればある程度の知識は得られますが、この絨毯を見れば一目瞭然。 まるで写真に写したかのように当時の様子が伺えます。 それも普段は表に出る機会の少ない女性達の生活の風景です。 これを見るだけで、彼らの風土から生活習慣まで見て取れるのですから、文化遺産としてしかるべきところに収蔵されるべきですが、その国がないのですから、どうする事も出来ません。 |
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11/15 | 素敵な絨毯「アンティーク・.バクティアリ」 通常は、商品が届いてから撮影をして、掲載していくので、絨毯の掲載は早くて大体1月位です。 ただその時期では幾分遅いので、何か良い案は無いかと思っていたところ、買い付けた画像があるのを思い出しました。 前もってここに掲載する事で、互いの時間を有効に活用したいと思います。 唯一、困るのは断片的な記憶を頼りに説明しなくてはならない事です。 実際に届いた物が想像以上に良い物であった場合は、価格設定を変更させて頂くつもりです。 ただ、ご予約頂いた場合は変更しません。 ご予約はキャンセルが入るものと想定し、3番位迄お受けします。 我こそはと思う方はご連絡下さい。 一晩考えてキャンセルというのも可能です。 今時、100年以上前の絨毯がこのような状態で見つかる事すら稀な上に、未使用に近い状態と言う事なし。 この大きさの新しいギャベですらこれより高い価格で売られていますから、このサイズの絨毯が欲しい方には最適だと思います。 バクティアリの古い絨毯の相場がいくらなのだろうと思って、検索しましたが、目ぼしいものが見つかりませんでした。 これに近いサイズのやや若い大判があったので見てみると、「修理の無いパーフェクトのコンディション」と謳われているのに、両耳がごっそり切り取られ、真新しい糸でかがってあります。 それだけ使われたものですから、フィールド中央は擦り減っていますし、おそらくクリーニングも不十分で、購入者は途方に暮れるでしょう。 マラティアの目利きと私が見定めたものなので、品物には間違いはありません。 |
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11/ 8 | コレクション2「アンティーク・ユンジュ」 ベルガマ繋がりで掲載出来るものを探していて、このユンジュを見付けました。 撮影まで済ませると、一件落着。 それから数年が経過して、半ば忘れていました。 そして、撮影済み画像を、当時の分類では「オールド」のフォルダに入れてあったため、たくさんのアイテムの中からこれを探し出すのは容易ではありません。 偶々、今年の夏にこのユンジュを置いているキリムの山を虫干しすると決め、一枚一枚、キリムを掘り下げていくと「おおっ、出てきた」というj事になり、記憶が蘇りました。 買い付けた当時、既にキリム人気に陰りは出ていましたが、それでも現在の2倍以上のセールスを記録していました。 そうなると、当然、羽振りも良く、今ならとても手が出せないような高価な品物をポンポンと買っていました。 今なら絶対に買いません。 ただ、当時の為替は80円台ですから、今の為替や物流の諸経費で考えると、今の半額になるんです。 今思うと、その判断は「正解」だったかもしれません。 表示価格は割安に設定しましたので、市販されているオールドのキリムと同レベルだと思います。 キリムの説明を書こうとしても、正直、ユンジュの人達がどういう生活スタイルを持っていたのか等の背景が分かりません。 それで、通り一遍になりますが、薄くて最高品質のキリムであり、他に類を見ない突出ぶりであるとの内容に終始しています。 |
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11/ 1 | コレクション2「アンティーク・ベルガマ」 ベルガマのお祈り用絨毯は有名ですが、お祈り用のキリムはほぼ目にしません。 稀にジジムが見つかる程度。 古い時代にはそれなりに制作されていたと思われますが、放牧生活が終焉した事で、持ち運ぶ為のキリムの需要が無くなったのでしょう。 記憶は曖昧ですが、この小さいサイズを見たのは初めてかもしれません。 流石だと感じるのは、一切妥協しておらず、フルスケールのキリムとサイズ以外に何も変わりません。 その上、縞模様だけなのに、愛らしいと感じます。 このサイズ、その色合い、そして織り手による+αの思い入れが入っているのでしょう。 縞模様だけのキリムですが、眺めていると、いろいろな事が思い起こされます。 色合いの美しさ保存状態とも申し分なし。 お祈り用として使ったのは極一時期だけで、ずっと使われずに仕舞って置かれたもの。 上端から織り始めて、下端で終えた所為か少し末広がり。 丁度、サイズ的にも飾りにした時に一番美しい言われる120㎝サイズ。 不思議な事に、大判は見つかる事はあっても、このサイズは廃棄されたのか、ほぼ見つかりません。 単なる縞模様キリムの小さいものという以上の付加価値が、十分に与えられるものです。 |
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10/25 | オールドS6「ベルガマ」 ベルガマのチュアルを切り分けた裏面。 表面のキリムと全く同じ素材を使って織られています。 この織り手の手元には十分に色糸があったのでしょう、裏面ですが、濃いめの系統色を好んで使っています。 袋状になっていたものの名残りで、やや形状に変形がありますが、天然色のキリムである事を考えれば文句は言えません。 これは、ストレッチされていません。 ストレッチしても完全には直らないので、その費用を掛けるのに見合わないと判断したのでしょう。 こちらでも多少のストレッチができますから、時間さえ頂ければ無料にて行っています。 キリムは薄手で、とても柔らかく出来ています。 |
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10/18 | オールドS6「ベルガマ」 ベルガマのチュアルを切り分けた裏面。 物によっては裏面のキリムに安っぽい素材を使う事もありますが、このベルガマでは表面と同じ素材で、縞模様に変わるだけなので、気に入って頂けるならとてもお買い得。 この価格を考えた時、表面を少し安く設定したので、この裏面の原価を25~30ドル換算。 クリーニングは表面と一緒なので無料としても、ご覧の通りピシッと伸びた状態からストレッチした事が見て取れます。 当時の価格で、房止め込みで20ドル掛かります。 航空便で10ドル、関税等で5ドルとすれば、事実上、販売価格は市況価格を下回る事になります。 今はストレッチや房止めの工賃がもっと高くなっています。 航空便も同じく。 今後は、在庫限りで全ての販売を終える事になります。 あと、商品番号の若い物は、為替が80円前後の時に仕入れて設定した価格なので、今では、トルコで買うより安価なものまであります。 安過ぎるものは見直すかもしれません。 |
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10/11 | オールドS6「ベルガマ」2枚 ベルガマのチュアルを切り分けたもの。 やはりベルガマですが、少し「ユンジュぼい」とも感じます。 キリムは柔らかくて、上品なベルガマのチュアルを代表するものの一つ。 地域によってはもつと太い糸でゴワゴワしたスマックも珍しくありませんが、これはスマックで出来ているのが不思議なくらい精巧に作られています。 収納袋に過ぎなかったチュアルをこうして芸術の域まで押し上げた腕前は大したものです。 今はもう、その技術や伝統は失われ、かつてこういうものが作られていたという記憶すら消え失せようとしています。 オールドのキリムがかろうじてその記憶を残すのみ。 それがこうして、ペアのキリムで見つかると、互いに相手の仕事振りを眺めながら、自分なりのアレンジを考えたのでしょう、見比べるのが楽しくなります。 総じて、手の込んでいる様に見える方が妹さんの制作した物の場合が多いです。 この手のチュアルを目にした時、いつも「どうしてここまで精巧にするのだろう」と感じます。 もっと手を抜いて簡単なデザインにしても使う上で支障がある訳でもなく、耐久性にそう大きくな差はありません。 でもそこがベルガマやユンジュである理由だと思います。 彼らは自らの部族に誇りを持ち、その名に恥じないものを作り上げる事の方がむしろ自然な事だったのでしょう。 |
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10/ 4 | オールドS6「ベルガマ」 ベルガマのチュアルを切り分けたもの。 デザインはベルガマですが、何処か少し「ユンジュっぼい」とも感じます。 柔らかくて上品なベルガマのチュアルは薄くても細い糸で織られているので、案外耐久性もあり、方向性を問わないので、どの方向に置いて(敷いて)も違和感なく使えます。 彼ら、ベルガマの人達は中に詰め物をし、壁際にこれらチュアルを並べます。 インテリア兼邪悪な物の侵入を防ぐアイテムと考えられていたからです。 それを応用して、寒い時期は足元の防寒再作として使い、夏場は壁掛け等としてお守りの様に使うのも良いかもしれません。 なお、これを買い付けた当時の為替に+αの程度の上乗せでこの価格に設定しましたが、今の為替で計算すればかなり上になります。 勿論、為替だけでなく全ての工賃が値上がりしているため、事実上、オールドのキリムの買い付けは出来なくなっています。 |
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9/27 | コレクション5「アンティーク・シャルキョイ」 1906年、今から117年前と言われてもピンときません。 明治39年なら何となく理解できます。 日露戦争が1904年なので、激動の東欧と何となく近いものがあります。 セルビアでも日本と同じく国力を付ける為に独自の産業に力を注いできた訳です。 それまでのオスマン帝国が宗主国のものと少し雰囲気が違い、より華やかさを演出したかのようです。 私がこのタイプのシャルキョイを知ったのは、実際にピロットに行くようになってから。 その時、応接間や主人の部屋に敷かれた豪勢なシャルキョイも見事でしたが、奥まった小部屋の壁に掛けられた赤いキリムを目にした時、今までとは違う感銘を受けました。 その赤いキリムは自分の娘の成長を願って作成したものであり、商用目的とは違い、可愛い我が子の成長を願う気持ちが伝わってきます。 そういう経緯もあり、赤と紺色の2枚のシャルキョイを半ば陳列品として掲載している訳です。 今の為替や物流コスト等を考えると、完品はとても手が出ない価格帯になります。 その点、これはオールドキリムより少し高い位のシャルキョイであれば、美しさと価格のバランスが程良く取れているので、ここにご紹介します。 |
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9/20 | クッションカバー「ガジャリ」、40×60cm角が2枚/50cm角が1枚 追加 何回にも分けて入ってきたため、見落としていました。 長方形で趣を変えたり、サイズ違いを組み合わせて、お楽しみ下さい。 |
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9/20 | キュチュクポシェット「アンティーク・ガジャリ」3つ クッションカバーで残った部分で、ポシェットを作りました。 |
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9/13 | クッションカバー「アンティーク・ガジャリ」 シャワックのガジャリ、二枚目。 このタイプはパンをこねる為に織られたものです。 飾り用の薄いガジャリと違い、丈夫に出来ているだけでなく、誇張して言うなら表面が鏡の様にツルツルとして物を弾くような感覚。 パン粉が付かないようにと考えられたのかもしれません。 肌触りについても同じ事が言え、まとわりつき難いサラリとした感触です。 このパン用のガジャリは、大抵、幾何学模様が織り込まれますが、これは市松模様。 他に見た事がありません。 小さな四角い市松模様を規則正しく繰り返すのと、幾何学模様を入れるのと、どちらが手間なのかは分かりません。 少なくとも、これだけ小さな模様を繰り返すのは楽な仕事ではないという事。 小さな模様が規則正しく入り、模様の途切れ感が無いので、個人的にはクッションカバーに最適の模様だと思います。 色合いも文句なく、茜の赤は更に深みの増した褐色となり、藍色は黒いほどの濃厚色染め これほど黒い藍色は珍しく、藍だけでなく他の染料を混ぜているかもしれません。 オールドでは、折り曲げるのが難しいと感じるくらい屈強なパン用のガジャリがとてもこなれており、どう解釈しても100年を超えています。 流石に古いだけあって、端の方に少し破損がありましたが、穴を避けてカットしたため、サイズがまちまちとなりました。 小さな端切れさえ廃棄されるのが惜しいので、同じ工房でミニバックに仕立てました。 パン用という事もあり、初めから汚れている様子はありませんでしたが、買い付けて直ぐに洗い場に送り、洗い上がったものはイスタンブルの工房に送るよう指示しました。 そうして、私がマラティアからイスタンブルに戻ると、これら3点もホカホカの状態で届いていました。 何より、地震が起こるとは誰も予想していませんでしたから、私が買い付けていなければどうなっていた事かと思います。 また、シャワックのガジャリ特有の艶やかさの所為か、室内で撮影すると、キリム表面が光を反射するので白っぽく写ります。 実物はより奥深い色合いで、年代を感じさせる風合いと美しさを兼ね備えています。 縫合糸はおそらく同じ褐色の糸です。 今はもうアンティークのシャワックは出てきませんから、記念に一枚持っておくのも良いかと思います。 長方形が3サイズ、正方形が1サイズです。 | ||||
9/ 6 | クッションカバー「ガジャリ」、50cm角が2枚/60cm角が4枚 地震前の5月にマラティアで買い付けたガジャリ。 この絵面だけでは産地も部族も推察し難いところですが、シャワックです。 マラティアのバザールでセールスに遭い、シャワックのヤストック絨毯ともう1枚、別のガジャリと一緒に3点セットで買い付けたので、間違いありません。 シャワックはマラティアの北部に居住する遊牧民族で、その卓越した手腕と特有のウールのお陰で、品質に優れる東部地方の中でも殊更評価が高いブランドです。 糸質の良さが際立つ絨毯で評価が高く、ガジャリではそれが分かり難いものの、糸の艶や腰のあるウールといった点で何かしら感じ取って頂けると思います。 ガジャリのウールは撚りが強く、一般的なキリムと比べ肌に張り付き難く、やや冷たい感じがするので、暑い時でもサラリとしています。 元々が余り大きなサイズではなく、カバーとして使うには小さ過ぎます。 同時に買い付けたもう1枚のガジャリがパン用で、スタイルは異なりますが大きさが同じなので、これもパンをこねる為のものの可能性が高いです。 ほぼ完璧な状態で残っており、加工するのは心が痛みましたが、このガジャリをオリジナルサイズのままでは欲しいと思う人は少ないでしょう。 それでも抱き合わせの3点セットで仕入れたため、帰国前の短い時間で需要のあるものに変えようと思い立ちました。 座布団用のクッションカバーです。 茜と藍色のシンプルな色合いですが、模様が無いので何処でカットしても模様に途切れが出ず、色合い的には和風のものと合います。 余り太陽光に当たっていない茜の赤が褐色に変わり、また、ガジャリ特有の張りのある質感の糸がこなれている事等から、90年近い年数が感じられます。 アンティークと呼ぶにはもう少し、足りません。 ご覧頂く環境によって違うと思いますが、実物は画像より濃厚で深い味わいです。 室内での撮影、若しくは艶やかな所為で、パソコンで見る限り、色合いはやや淡く映し出されています。 また、上掛けのベルデと違い、軽さよりも強度さが必要とされるものの為、少し太目の糸で織られ、丈夫に出来ています。 ご存知の通り、ガジャリは40㎝弱程度の幅の長いキリムを複数枚、繋ぎ合わせて一枚のキリムになりますが、これは縫合糸にまで色糸を使い、縫合した跡が一目見ただけでは分からないように出来ています。 撮影に際し、60㎝サイズの中綿には少し薄めの座布団を使っているので、膨らみはありません。 対して、50㎝サイズは普通の中綿なので、比較画像としてご覧下さい。 それぞれが違う日に撮影したので、微妙に色合いが番うと思いますが、どれも同じです。 価格は、オールドキリムの60㎝と同じにしています。 一部は大きさが足りず50㎝で制作、サイズ比ではやや割安に。 元々がそれ程大きくないので、一枚のガジャリからたった6枚のクッションカバーしか作れませんでした。 マラティアの地元民から直接買い取りましたので、それだけ控えめな価格設定が可能ですが、普通は無理です。 もう1枚のパン用ガジャリもクッションカバーに加工していますが、そちらは少し模様が入っていて、価格帯も上になります。 これとはほぼ異なるサイズに仕立てています。 | ||||
8/30 | クッションカバー「ガジャリ」、40cm角が4枚/50cm角が1枚 マラティアで買い付けたガジャリ。 こちらは定番のガジャリ、元はテント用ベルトの一部でした。 長いサイズのまま、15m位あったと思います。 確証はありませんが、薄くて品質が良いですし、色合い的にもシャワックでしょう。 そもそも、このマラティア地方でテントベルトと言えばほぼシャワック。 この時、同時に買い付けたガジャリが全てその様でした。 ご存じのように、テントベルトは使用しない時、丸めておきます。 その際、上下の端が重みで押し潰されて壊れます。 古い物であり、使われていたものですから、所々に小さな傷もあり、傷を避けてキリムに仕立てるよう指示しました。(M6-231) それをカイセリまで送って貰い、半年後に発送前の状態を見てみると、何枚か上下に解れがあります。 せっかく破損の無い部分を選んで加工させたのに・・・。 信用するのが悪いとも言いますが・・・。 これを更に修理するには結構な経費が掛かる為、止むを得ず、クッションカバーに加工したのが本音。 この時点でテントバンドを縫合したり房止めしたりで、経費がかなり掛かっているため、全て売れて採算が取れるか微妙。 魅力としては、薄手のガジャリなので、やはり触れると柔らかい。 太陽光に当たっていた部分だけ色褪せていますが、基本的に天然色。 青紫色について、マラティアのボスと少し話しました。 私から、「好意的に見ても、化学染料の可能性が高い。」と言うと、ボスは「彼らが化学染料を買うとは考えられない。」として平行線。 確かに一色だけ化学染料と言うのも解せません。 年代的には70年位でしょうか、それ程使われずに残るので、全体的に元の色合いがそのままに残っています。 | ||||
8/23 | オールドS3「アフヨン」 アフヨン方面のソフラ。 ソフラと言えば殆どの場合、ベースが赤いキリムです。 アナトリア産で、青とかラクダ色のソフラは記憶にありません。 イランのものとは用途が違う所為でしょうが、アナトリアにもパンをこねる為のソフラもあります。 ただ、それらは何故かガジャリが使われます。 きっと毛羽が立ち難く目が細かいので、パンをこねるのに向いているのでしょう。 その点、こうしたテーブル代わりのソフラでは、派手めな色彩で食卓を華やかにするという意味合いが込められているのかもしれません。 加えて、魔除けと言うか、邪悪な物の侵入を拒む雰囲気が醸し出されています。 流石に玄関はちょっとね、という場合、寝室等でも良いでしょう。 実際、昔のテントにはそういう意味合いで護符模様の△が取り付けられていましたし、派手な色合いでこれだけ大きいと、無視して侵入する事は出来ないでしょう。 |
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8/16 | オールドS3「アフヨン」 アフヨン方面のソフラ。 ソフラの起源が何処にあるのか定かではありませんが、これらアフヨン方面から西方に移って行ったとすれば、ある意味、この形が原型に近いものなのかもしれません。 それが各地に流れて独自の発展を遂げていったという流れを推察します。 装飾性に乏しいソフラではありますが、それはそれで深く根差した文化性も感じられ、見ていて楽しく、飾りにしても面白いキリムになっています。 なお、最後のアフヨンのソフラ2枚(これと次)は、最後に買い付けたキリムです。 今から7~8年前でしょうか、当時、既に全てのソフラが高くなっていて、原価が他の割高ソフラと同じの為、販売価格も同じになりました。 また、ソフラと言えば殆どの場合、ベースが赤いキリムです。 青やラクダ色のソフラは、記憶にありません。 アナトリアにもパンをこねる為のソフラもあります。 ただ、それらは何故かガジャリが使われます。 きっと毛羽が立ち難く目が細かいので、パン作りに向いているのでしょう。 その点、こうしたテーブル代わりのソフラでは、派手めな色彩で食卓を華やかにするという意味合いが込められているのかもしれません。 |
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8/ 9 | オールドS3「フェティエ」 フェティエ方面で織られたソフラ。 過去に撮影していたものも含め、撮りためた画像を整理していて、掲載済みのものに同じ色柄のキリムがある事に気が付きました。 当時は、フェティエの少し違うバージョン位にしか考えていませんでした。 改めてこの作品に接すると、今まで気が付かなかった事がポンポンと湧いて出てくるのが、不思議な位。 以前、シャルキョイ専門の卸屋が、古いキリムは不思議と何か違うものを感じると言っていてたのを思い出します。 古いキリムの場合、オールド作品の様な模様を真似て作っていたのとは違い、彼ら自身のオリジナリティーに富んでいます。 そういう点で、これも共通するものがあると思います。 これでフェティエ方面のソフラの掲載を終え、残り2枚はまた別の産地になります。 |
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8/ 2 | オールドS3「フェティエ」 フェティエ方面と思しき赤いソフラ。 ありそうで中々見つからない赤色単色のキリムです。 もう少し大きめのサイズ、お祈り用になるとボーダーが付いてきます。 これはソフラなのでボーダーを省いて、そり代わりにジグザク模様のジジムを入れています。 丁度、ボドルムのソフラや小さなサイズにも赤だけの模様の無いキリムがあり、それには、大抵、ジグザグのボーダーが模様として織り込まれます。 そういった点から、フェティエとボドルムの中間辺りで、双方の影響下で制作されたキリムだと仮定すれば、何となく説明が付きます。 この赤い色合い、そして、ジジムによる装飾も、見慣れたフェティエとは何処となく違う所があります。 いずれにしても、このような単色のキリムは、遥か以前は安価でした。 しかし、下手に模様のあるキリムより違和感なく受け入れられるらしく、高値で取引されるようになったので、ソフラに留まらず、全てのカテゴリーで一番上の価格帯になりました。 |
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7/26 | オールドS3「マニサ」 マニサ方面で織られたキリム。 そもそも、ソフラのキリムがあまり出てこない地域なので、ソフラの様な気がしません。 以前、この手のキリムが出てくるようになった際、何処で見つかったのかを尋ねると、イズミル辺りの地元業者から聞いた話として、いつもより奥地に行って見つけたそうです。 余り知られてないキリムであり、一部の地域にだけ存在するものの様なので、ソフラの可能性も無いわけではありません。 しかし、色の切り替えが非常に頻繁に入りすぎて、ソフラとするには派手過ぎます。 もしかすると、家族の為に大判を制作して、残った糸で自分のキリムを織った等、考え得るものはいくつかあります。 用途が何であったかはさておき、小さなキリム、それも幅のあるサイズが欲しい方には良い選択肢になるでしょう。 今時、チュアルのキリムですら、これより高くなっていますから。 |
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7/19 | オールドS3「フェティエ」 久々にソフラのシリーズを更新します。 10年位でしょうか、少しずつ買い集めていたものです。 おそらく二度と更新する事はありませんから、心してご紹介します。 まず始めは、ソフラではないけれどソフラの風に出来ている小さなキリムです。 ご覧の通り、波模様で細かく仕切られたキリムの上にポンポンとプトラックのジジムがあり、一面が花模様の様になっています。 制作者もそのような事を意図していたのでしょう。 買い付け時は、フェティエのソフラと言い張って買い取りました。 そうではないと分かっていても、それを認めると価格が高くなるからです。 売る方は少しでも高く売りたい、買う方は少しでも安く買う為に、出来る限りの手を尽くします。 ですが、原価そもそものが高いので、いくら頑張っても限界はあります。 ソフラの頁に掲載するので高めに感じるかもしれませんが、そもそもが安価なソフラより装飾も品質も優れているので仕方のないところ。 本当はもう少し上の価格に設定したいのですが、釣り合いを考えてこの価格にしました。 |
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7/12 | オールドM7「コトレンスキー」 最後のブルガリアキリム。 偶々、コトレンスキーから掲載を始めてコトレンスキーで終わるのは何かの縁でしょう。 この最後の一枚を掲載するにあたり、何か目新しい情報は無いかと探しましたが、何も見当たらないばかりか、まともなコトレンスキーはすっかり消えていました。 記憶は曖昧ながら、コトレンスキーの生産地はチプロフツィからそう遠くない場所のように思います。 この名は地名に由来するものですが、その名はもう何処にも見つかりません。 ですが、ブルガリアの遊牧民系のキリムとは違い、れっきとした工房、又は、腕利きの家庭によって復刻されたものであり、当時、それだけの技術や素材を集める事が出来たのは、チプロフツィか、その近隣で同じ技法が再現されたと考えます。 その当時、田舎の暮らしは貧しく、生活の為にキリムの制作を制作する事がまだ成り立っていた最後の時代でした。 以下に、Wikipedia『チプロフツィ』から抜粋転記します。 旅行者のアミ・ブーエは、チプロフツィを1836年から1838年にかけて訪れ、「町の若い娘たちは家々や路地でじゅうたん織りに従事している。 1ヶ月にわずか5フランの賃金か、あるいはそれ以下である」と述べている。 1868年、チプロフツィの年間のじゅうたん生産量は、14,000平方メートルに達した。 1896年、チプロフツィの女性1,400人がじゅうたん生産に従事していた。 1920年、地元民たちはじゅうたん生産者の協同組合「手工芸労働者」を設立した。 これは、同種の組織としてはブルガリア初のものであった。 |
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7/ 5 | オールドM7「チプロフツィ」 追加チプロフツィのキリムの3枚目、残り1枚(次週予定)。 もう二度と買い付ける事のないキリムなので、少し寂しい気持ちもあります。 そのチプロフツィとシャルキョイは、険しい山並みを越えれば18km程度しか離れていませんが、実際の往来にはモンタナ方面へと大きく迂回していたようです。 かつて、銀の採掘でとても栄えた街だそうです。 ウィキペディアの説明では、オスマン帝国に対する蜂起に失敗すると、生き残った住民はその山並みを徒歩で越えて現在のセルビア、当時のハプスブルク家の領地に逃げていったそうです。 ですから、今のチプロフツィは新たに入植した人達によって再興された町であり、復興材料を考えた時、キリムの生産を思い付くのは容易な事だったでしょう。 大きなサイズもありますが、盛んに織られたのがこのサイズであり、規格が統一されていたのか、デザインは異なっても、殆どが同じ大きさです。 大きなサイズの場合は、完全に工房仕上げとなり、素晴らしいクオリティのものを目にする事もありました。 これの特徴は、ご覧の通り古いシャルキョイでも極稀な極楽鳥の模様。 色目の数も多くなり、何より、織り進めていった時、大小の鳥が止まり木の上にきちんと並ぶようにしないとなりませんから、それなりに気苦労は大きかったと思います。 |
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6/28 | オールドM7「チプロフツィ」 ブルガリアでキリムを買い集めていた人から入荷したもの、地元ならではの目利きが冴え渡る一枚です。 商用目的で制作されたもののせいか、極めて良く出来ています。 一枚いくらで取引されるなら、これほど上質に、手の込んだ仕事は割に合いません。 名の知れた工房が自らの品質の高さを顧客に見せる展示品の様な物なのか、とにかく職人気質の高さは格別で、何かしら+αの理由があって制作されたものと考えます。 今から10数年前ですら、良いものが見つかり難くなっていた時代です。 私が初めてブルガリアに行った際は、街毎にキリム屋がありました。 もっとも、店のドアは閉まったままで、お客があった時のみ営業しているようでした。 そのブルガリアでの体験があり、偶々、イスタンブルで入手する機会のあったチプロフツィを以前の価格帯にてあるだけ買い付けました。 幸か不幸か、そのお陰で、今は私の在庫はイスタンブルの専門店を数量と品質、及び価格で凌駕する程になりました。 これがもし現地にあればいくらの価格になるか、気になるところです。 |
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6/21 | オールドM7「チプロフツィ」 最後のブルガリアキリム。 全部で4枚あります。 既に掲載済みと思い、掲載を忘れて2~3年が経過しました。 その2~3年前に書き記した内容を若干、修正しました。 ですから、12~13年前に仕入れたキリムということになります。 今回ご紹介するこれらブルガリアのキリムは、前にご紹介したものの続きです。 後出しの作為では無く、卸屋が別の機会に送っていたので、集まるまで待っていました。 今から10年近く前の話になると思いますが、私がイスタンブルに到着すると、良いブルガリアのキリムが手に入ったと聞きました。 その時の話では、現地で収集していた人が共産系の政府から過大な税を課され、支払いを断ると、キリムを没収され、5年間裁判で戦って取り戻したという事。 どういう理由なのか、ブルガリアでは新しいキリムに対して税務当局が厳しく追及していました。 私がブルガリアに行った際に荷物の中にあったトルコのキリムについても、税関がいくらで買ったものなのか等と問い詰めてきました。 しかし、これは古いものだと言うと、彼らは新しいものを探しているので古い物には興味が無いと言い、キリムについてはそれ以上追及されませんでした。 何か政府の方針に関係するものの様です。 トルコ系住民を敵視しているのかもしれません。 お陰で私は選りすぐりのブルガリアのキリムを、タイムカプセルに入ったままで手にすることが出来ました。 どんなに探し回っても、もう見つかる事は無いと思います。 下記は、ユネスコがチプロフツィのキリムを紹介しているページ(グーグル翻訳済み)です。 『チプロフツィのカーペット作りの伝統 - 無形遺産 - 文化部門 - ユネスコ (ich-unesco-org.translate.goog)』 |
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6/14 | オールドM5「バルーチ」 バルーチ族のものと思われるソフラ。 見つかる時には、大抵ペアで同時に見つかります。 そして、何故か、このタイプは必ず1箇所か2箇所に穴が開いており、もしかすると動かないように固定していたのかもしれません。 幸い、これは小さな穴だったので修理出来ました。 その推理が正しければ、裏面が新品の様な色合いをしている理由も納得できます。 この長さが必要となるサイズのパンですから、結構、長い大きなナンでしょう。 国境を越えた先のアフガニスタンではかなり大き目のナンが主流なので、これに似たナンを作るのに必要だった可能性があります。 ソフラのキリムは耐熱性もあり、パンをこねるほかに、焼きあがったパンを乗せる事にも使われ、かつては各家庭の必需品でした。 しかし、今時、パンを作るのにわざわざキリムを使う必要があるでしょうか? たぶん、これらソフラは同じ家庭で使われていた物が不要になって売られたので、ペアで出てきたのだと思います。 コロナの前に買い付けたものなので、当時はまだ選ぶ事ができる贅沢な時代でした。 今はもう目にする機会すらありません。 |
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6/ 7 | オールドM5「ベラミン」 イランの遊牧民、バラミンのソフラ。 テヘランの仲介業者経由で手に入れました。 私が画像で紹介された時は、画像の様な色褪せありませんでした。 テヘランで洗いに出した際の画像にも、色褪せは見られません。 その為、日本に届いたこれを見た時、目の錯覚ではないのかとすら考えましたが、子細に見ていくと、その送られてきた画像が裏面だと分かりました。 左右を縁取る模様の形が、微妙に表と裏で違うからです。 いつもは注意深く、反対側の画像を要求するのですが、この時は気の緩みがありました。 普通、この手の一件が起きると、その仲介業者を介して販売人にクレームを付けて値引いて貰う等の措置をします。 しかし、その少し前にイランの手紬糸を大量に買い付けた後で、輸出禁止になっていると知り、その返品処理等を何一つ文句を言うでもなく片付けてくれて助かったので、この件は許そうと考え、何一つ注文は付けませんでした。 それから2年後位に、突然、「困っているのでお金を貸してくれないか?」と、そのテヘランの仲介業者から相談を受けました。 詐欺にあって高額な商品を騙し取られたそうです。 ただ、やはりこの一件が心に引っかかっていたので、断りました。 ほとぼりが冷めたころにこの事を問い詰めると、「大した問題ではない。」と言い、これが問題かどうかは私が判断する事なので、「あなたのいう事は、不誠実だ。」と諭しました。 やはりお金を貸さなくて正解でした。 人によって程度の差はあっても、お金の為なら手段は選ばない人達ですから、皆さんもアラブ系の人達には十分にお気を付けください。 そんなこんなで、ギリギリ損が出ない価格に設定しています。 元々、コロナ前に買い付けて送られてきたものなので、商品価格も諸経費も安い時代ですから、今ではこの状態のものですらこの価格では手に入りません。 |
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5/31 | 40cmクッションカバー 3種のキリム。 マラティアのボーダー4枚 産地不明のボーダー1枚 カイセリ・サルズ1枚(追加) マラティアの縞模様キリムは、アクサライの修理工房にキリムの修理を頼んだ際、修理すると高額になる穴が上下にあったので切り落としました。 廃棄するのも惜しくして、日本まで送って貰いましたが、よく考えるとクッションカバーにするのが一番良いと考え、一度洗ってから、コロナの終焉間際にトルコに持って行って加工しました。 結果的に日本とトルコを二往復しているので、本来ならば割高な価格になるところ、自分で持ち運んで何とか価格高騰を防いでいます。 また、この前にカイセリのアトリエで加工する話を進めており、サンプルとして持ち帰った一枚が今回掲載するものです。 カイセリに出発する前、イスタンブルのキリム屋界隈を散策していると、アトリエのボスと久しぶりに再会しました。 私が加工を受けてくれないかと話すと、受注をすると答えてくれた為、カイセリに持参して加工する予定であったキリムをここで加工する事が出来ました。 加工賃は1.5倍ですが、品質面を考えると割安な位。 こういった特別な事情のあるクッションカバーをまとめて掲載します。 基本的に大きなサイズも小さなサイズも加工賃は同じである為、普通、小さなサイズはあまり加工される事はありません。 |
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5/24 | コレクション3「アンティーク・バイブルト」 バイブルト方面の産と思われるアンティーク。 エルズルムらしさも随所に感じられます。 このキリムは、マラティアの大御所の所で買い付けたものです。 一通り目ぼしいものの交渉を終えて、帰ろうとした時に目にしました。 こういう時、購入意欲は失せ、何も欲しくは思わないのですが、これは欲しいと思いました。 その際、何処のものだろうと質問したところ、ボスはキリムを眺めながら、「バイブルト」でどうだろうか?と言い、その場はそれで収めました。 後になって考えた内容は、説明に記した通りです。 マラティアに流れてくるという事は、エルズルムに由来する可能性もあります。 デザインには、バイブルトとマラティア方面のものが混ざり合っています。 それもかなり手慣れた様子です。 初めてこの模様を描くのではないでしょう。 仮に、マラティアか隣のエラズーに居住していたアルメニア人家族がバイブルトに移り住み、偶々そこにはエルズルム系の人達が多く住んでいた土地柄だとしたら、全てが上手く収まりますが、どうでしょう。 マルコポーロもバイブルトを訪れたそうですから、当時、ここから更に東は未知の土地だったのかもしれません。 |
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5/17 | オールドL4「シャルキョイ」 縦方向が圧縮されたシャルキョイの大判。 見慣れないサイズは、撮影にも手間取りました。 縦方向にして撮影すると横が収まりきらず、横向きにすると上下が余り過ぎて間の抜けた感じになるからです。 とりあえず両方で撮影して、見た目が良いこの縦方向の画像を使いました。 元々、シャルキョイは横幅が広めです。 極稀に、正方形の物もみつかるくらい。 アナトリアと違う、欧州でも部屋のサイズに合わせてオーダーメイドで作られたキリムならでは。 地元の何処かの邸宅用にあつらえたものでしょう。 ただ、幅広の物は大抵が箪笥模様で織られるので、この生命の木のパターンは稀です。 オーナーからの図柄指定があったものなのか、トルコ系なのかもしれません。 その後は、人の手に渡り転々として、イスタンブルに流れ着いたようです。 そのデザインはアンティークのものを手本にしてあり、ピロットの流れを汲むスタイルが継承されていた土地、ブルガリアとの国境付近で織られたものだと思います。 小さなサイズであれば、他の都市に移り住んだとしても制作可能ですが、大判のこのサイズ、デザイン、そして織り手を考えると作れる場所が限られます。 ここはなだらかな高原の続く土地柄で、羊を放牧するには最適の環境であり、高原を下った平地には無数の小さな町があり、聞いた話ではこの付近の町では至る所でキリムが織られていたそうです。 戦後は、共産主義に代わり、裕福なブルガリア人は国外に逃げ出したように、工房系の大判キリムはこれが最後の年代になります。 ここに紹介する画像は、かつてのブルガリアの豪商の邸宅の様子です。 大判のキリムは、かつてこうして使われていました。 ここを訪問した時、管理人からあと数ヶ月後に家財がオークションに掛けられると聞き、どうしてもこれを手に入れたかったのですが、その権限が付与されていませんでした。 |
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5/10 | オールドL4「チャル」 一目見てチャルと分かるキリム。 縞模様キリムが2枚続きましたので、趣をガラリと変えたいと思い、選びました。 茜の赤にオレンジ、黄緑色に白や黒が、コントラストとして使われます。 贅沢を言うなら、藍色が天然ならば完璧でした。 山間部のデニズリには藍染めの伝統が残っているのに、チャルには割と早く化学染料が入ってきました。 それでも、タダで容易に手に入る茜による染色は、脈絡と受け継がれてきました。 チャルと言えば茜の赤と夕日の様なオレンジですから、それがあれば十分。 画像の通り、チャルの房はオリジナルでもこの位簡素なフィニッシュです。 少しでも使っていれば簡単に壊れてしまい、ボーダー部が決まって損傷しています。 そういったキリムは少し割安に買うことが出来、決まって、業者はダメージのあるボーダーを切り落とします。 稀に、ボーダーの数が多過ぎると言って切り落とすディーラーもある位。 きっとそうしたとしても誰も疑問には思わないでしょうし、そうすればこれももう少し正方形に近くなって、より人気が出たかもしれません。 ですが、せっかくオリジナルで残っている物を、つまらない理由で切り落としたくはありません。 その点これは、珍しくオリジナルの房止めが残っているのが気に入っ、て買い付けました。 チャルのキリムや絨毯はそれらが語りかけてくるような錯覚を覚えますから、オリジナルのキリムが持つ時代背景やストーリーを考えるのも楽しみ方の一つです。 |
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5/ 3 | オールドL4「アフヨン」 アフヨンタイプの大判キリム。 一つ前にこれとは対照的な超過密なジジムがあるものをご紹介した事もあり、制作された土地も近いので比較対象として面白いので、これを選びました。 特徴として、他のアフヨンの大判と比べ、配色の構成が違います。 こういった場合、大抵、織られた地域が違う事が影響しています。 触れた時の触感や織り方はほぼ同じで、少し古い分だけ微妙に薄く出来ている事があり、キリム自体がこなれた感じがする位の差。 でもやはりキリムに大切なのは色合いなんだと、こういった模様の少ないキリムを見ているとしみじみ感じます。 このアフヨンは、7~8年程前に買い付けたもので、撮影は2017年の1月18日と記録されています。 当時既にオールドのキリムですら品薄になっていたので、多分もう手には入らないだろうと考えていました。 それでもまだふんだんにキリム自体はあり、無くなりかけていると言ってもセールス目的としか聞こえないと考え、掲載は先送りしていました。 昨年、現地で聞いたところでは、コロナの初期の頃、ネット経由でのショッピングが盛況で、ありとあらゆるものが猛烈に売れ、コロナ後の現在は、不況と物価高という通常ではあり得ない現象が起きています。 もう一度、落ち着いてマーケットがどうなっているのか見極める必要がありますが、他のネット店の価格設定を見ても、既に日本に入荷してくるキリム達はかなり高騰しているのが見て取れます。 原価が高くなっている上に、品数そのものが少なくなっているので、イスタンブルのバザールでは、キリム屋が壊滅的になっており、バザールに卸していたキリム屋も苦境に立たされている様子。 このまま廃れていくのか、それとも少数精鋭で盛り返すのか、今はその岐路に立っている時節です。 |
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